図師照幸の日本語を歩く320
マジ
　
日本のどこどこの地方が梅雨入りしたというニュースが流れるようになった。東京ももうすぐだ。先生の住むロンドンには梅雨はない。日本はもう、梅雨に入る前から夏日だ、真夏日だと、暑い。またしても遊びに来ていた日本一の保育園「ともそだち」の園長先生である大くんが半ばため息混じりにつぶやく、「今日は30℃になるようですよ」「マジ？」 知らないこと以外は全部知っているNくんが応える。健康診断の結果があまりよくなかったと意気消沈の下やんがじろりとNくんをにらむ。「ど、どうしたんですか、下川さん？」 大くんが訊く。「いやね、下川さんが昨日、家に帰って健康診断の結果があまりよくなかったと一言言ったら、奥さんがあわててタンスの引き出しから書類を取り出して真剣に読みだしたんだって」 Nくんが説明する。「奥さん、下川さんのことが心配で、良い病院はないかと調べられたんだな」 と大くん。「い、いや、それがね。奥さんが読んでおられる書類を下川さんがちょっとのぞき見したら、生命保険金の受取申請の仕方って、書いてあったらしくてね」 とNくん。「……」 言葉を失う大くんである。いや、奥歯をかみしめて、笑いをこらえているように見えなくもない。「で、でもね、水虫が悪化したぐらいで死んだりはしないとぼくは思うんだけど」 とNくん。「え、水虫？ なーんだ」 そう聞いて大くん、ほっとしたというか、残念だというか複雑な表情をした。「いや問題はそこからなんだよ」 Nくんの声には何となくハリがあって楽しそうだ。「しかし、水虫で死なないとも限らないと奥さんはネットを使って深夜まで調べられたんだって」「おいッ、おまえら、人の不幸がそんなに楽しいかッ。この下川大先生はだな、そのような些細なことで落ち込んだりするもんか。オレが気に入らないのはだな、さっきNが云った〈マジ〉ということばだよ。なんだその〈マジ〉というのは。最近よく耳にするんだが、気持ち悪くてしょうがないんだよ」　*マジ＝広辞苑（第七版）は 「〈まじめ〉の略」 、新明解（第七版）は 「学生などの間で 〈まじめ〉 の口頭語における省略表現」 とそれぞれ説明する。これらの説明をかみ砕けば 「ふざけて云っているのではなくてまじめに云うと」 というような意味合いになるのだろう。似たものに、人のことばを聞いての反応、 「うそッ」 がある。いずれも軽薄で、そのことばを使う者の品性の低さを感じさせる。（2024.6.24）


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