(138)柄(がら)

O市の市長が市職員の入れ墨(刺青・いれずみ)は公務員としては許されないと怒っている。市の児童福祉施設の男性職員が子どもたちに腕の入れ墨を見せて威嚇していたことからその怒りが始まったという。なるほどぼくも、入れ墨はあまり好きではない。ピアスにしてもそうだが、痛そうなのだ。注射一本に逃げ回るぼくには、とても恐ろしい。だが、しかし、である。ぼくの住むこのロンドンでは、tattooと称するファッショナブルな入れ墨はまったく珍しくない。猫も杓子もしているのである。(これは少し大袈裟だった、いまだ入れ墨をした猫は見たことはない。) 日本出張の際、定宿にしているホテルの理髪店で髪を切った。本当は切るのではなく増やしてほしいのだが、それはさておき、理容師さんが「ついこの前、あのサッカーのベッカムさんの髪を切りましたよ、ここで」と話してくれた。同じホテルに泊まっていたらしい。ということはである。ベッカムはこのホテルのスパを利用したのかな、とつい気になった。このホテルのスパは、熱海からわざわざ温泉の湯を運んでおり、売り物の一つなのだ。だが、である。あの全身にものすごい入れ墨をしているベッカムははたして、スパに入ることが許されたのだろうか。「入れ墨お断り」の表示があったように思うが。入れ墨をしている人は「ガラが悪い」とみなされる。ガラ、柄である。九州の地方自治体から講演を依頼され、出張した折、Nくんと温泉に入った。できれば同じお湯には浸かりたくないと離れた所にいたが、逃げても逃げても追いかけてくるNくんの背中にゴミか何かが付いているのに気付いた。目を凝らすと、文字が書いてある。な、な、なんと、Nくんは入れ墨をしているのか、と驚いたぼくは叫んだ。「き、き、きみは……」「白身の中でーす」「き、きみは、入れ墨なんかしているのか、柄が悪い。不真面目だッ」「センセー、よく見てくださいよーッ、ぼくは不真面目なんかではありませーん」 背中を向けたそこには「まじめ」と平仮名で書かれていた。しかも、「ま」の文字が半分剥がれかかっていた。安っぽいシールを貼っていたらしい。*【柄(がら)】=「①なり。体格。②その人の地位・能力・性格・品位など。③織物などの模様。④(接尾語的に)そのものの性質や置かれている状況」(広辞苑)。②の基準は曖昧で、「柄が悪い」とは言うが、「柄が良い」とは言わない。海辺のサングラスはいいが、職場でのサングラスは「柄が悪い」ということになる。基準や枠をはみ出すかどうかが問題で、いかにも日本的語である。(2012-07-18)

(137)大の女

少食のTSさんがため息をついている。いや、食べ過ぎたのではない。TSさんは何しろ少食だから、先ほどの昼食も、おむすびを5個とコロッケを4個、それにバナナを3本とゆで卵を2個で、軽くすませたところだ。せっかくきれいに5・4・3・2とまとめたが、最後の1を何にするかで迷っているのである。イチゴのケーキにするか、ドーナツにするか。イチゴのケーキは下やんの奥さんの手作りだそうで、「毒でも入っているといけないのでオレは食べないから、あげるよ」とくださったもの。ドーナツは、ドーナツ屋さんを開店したばかりのNくんのお兄さんが奈良から送ってくれたもので、これを食べないとNくんの機嫌が悪くなる。どちらも曰く因縁があるのである。ため息が8回を数えたところでNくんが云った、「たかが食べ物ぐらいで、大の女が深刻にため息なんかつかないでほしいなー」と。少食のTSさんはまた、素直な女性でもある。「そうだよね」と云うと、二つともぺろりと平らげたのだった。*大の女=誤用。【大の男】は、「一人前の男のことを強調していう語」(広辞苑)。では、「一人前の女のこと」を「大の女」とはなぜ、いわないのか。この「一人前の男」と「一人前の女」とでは、その語の意味するところが何となく違うようなのだ。「一人前の男」のほうは社会的に自立したというような意味になるが、「一人前の女」には身体的、肉体的な成熟の意味合いが生まれてくる。さらに、「大男」と「大女」とでは明らかに、「大女」には侮蔑の意味合いが感じられる。いやはや、何とも困った日本語である。(2012-07-11)

(136)親分

日本エッセイストクラブ賞を受賞した作家の黒川鍾信さんが、いろいろな作品の中にぼくを登場させている。『神楽坂の親分猫』(講談社)もその一つ。日本出張中のぼくは、東京・神楽坂のしっとりとした、ある和風の家に泊まる。ぼくはそこで最も広い、二間続きの、映画監督の山田洋次さんの仕事部屋で寝起きするのであるが、そこに一匹の猫が登場する。その猫の目を通して、そこをうろうろするさまざまな人間を面白おかしく描いた快作である。山田さん以外に、作家の野坂昭如、中島らも、村松友視、漫画家の滝田ゆう、ノンフィクション作家の本田靖春、歌手の氷川きよし、映画監督の内田吐夢、エッセイストの青木雨彦、落語家の金原亭馬生、などなど。そういった錚々たる兵(つわもの)と一緒に取り上げられ、大いに恐縮しているぼくはいつも、「ジェントルマン」として描かれる。そのためぼくは、布団の中でも両手をそろえて行儀よくしている。お風呂は一つの岩風呂に交代で入るのだが、ぼくにはいつも一番風呂があてがわれる。ある夜、11時過ぎに戻ったぼくに女将さんが云った、「センセー、お風呂をどうぞ。皆さんを待たせていますから」と。そしてさらに、「他の人が入るとお風呂が汚れますから」と大きな声で云ったのだった。無論すべての部屋に聞こえただろう、何しろ襖(ふすま)で仕切られただけの部屋なのだから。*【親分】仮親ともいわれ、頼りにする。「親方」ともいうが、「親分」には任侠のにおいがする。職人仲間のかしらは「親方」と呼ばれる。(2012-7-3)

(135)トシマ

【初老】ということばについて広辞苑は、「①老境に入りかけた年ごろ。②40歳の異称」と書く。「これはおかしい。ずーと昔の時代の定義だ」と憤ったのは、FJ先生とMN先生とMY先生と……。無論、純粋にことばの定義についての異議申し立てである、アカデミックな立場から、たぶん、おそらく、きっと。盛り上がっていたそのとき、研究所で日本語を学ぶハンサムな英国青年のPくんがやって来た。腰痛のFJ先生の腰が少しだけ回復する。「Pくん、質問ですか。他の部屋でじっくり説明しましょうか」「いや、一つだけですから」「そーお。遠慮しなくてもいいのに……」「赤川次郎の小説を読んでいたら、年増ということばが出てきたんですが……」「トシマ? 地名ですか?」「いや、どうでしょうか? 一年、二年のネンに、増えるという字を書くんですが……」「……」「電子辞書を家に忘れてきたので文献室に行ったら、TD先生が、そのことばだったらFJ先生かMN先生に訊いた方がいいよって、おっしゃったので……」「なにッ。TD先生が?」 FJ先生とMN先生のことばがきれいに重なる。「どういう意味なんでしょうか」「あッ、わたし、早くサンドイッチを食べないと、講義が始まるわ」と云ってMN先生がキッチンに消える。今日もジャムを塗っただけの特製サンドイッチらしい。「あッ、わたしも……」「他の部屋でじっくり説明してもらった方がいいでしょうか」 *【年増】娘盛りを過ぎて、やや歳をとった女性。江戸時代には20歳過ぎを言った。(広辞苑・第五版)**娘盛りを大分過ぎ、女盛りにある婦人の称。江戸時代は二十代の後半、昭和に入ってからは三十代の後半を指した。現在では花柳界以外ではあまり用いられない。(新明解・第五版) (2012-6-20)

(134)大食漢

5月の日本出張の際、友人に訊かれた、「最近、エヌさんはお元気ですか」。一瞬、エヌさんとは誰のことだろうと考えた。「えぬ」というペンネームの、詩を書く仲間(某国立大学の学長を務めた)がいたが、彼のことではないだろう。友人は笑いながら、「ほら、あの、面白い……」とぼくの肩をたたいた。たたかれないと思い出すことができないくらいぼくは年老いたのだろうか。あ、そうか、Nくんのことか。「さん」と「くん」とではかくもイメージが違うのか。そういえば最近、Nくんがおとなしい。いや、本人は困ったことに、いたって元気なのだが、これまた困ったことに、本部の先生方も負けず劣らずぼくの感覚を混乱させるので、Nくんの登場する機会が少なくなっていたようだ。いやはや、すこぶる元気なのだ、NくんもTSさんも下やんも、困ったことに、本当に。NくんとTSさんと3人で、神楽坂の焼肉屋さんに行った。個室に通されるや否や、Nくんの闘いは始まった。1時間ほど経過して、「いや、もうお腹いっぱいだ」とぼくがデザートのシャーベットを注文したとき、Nくんはカルビ3人前と、ロース3人前を追加注文したのだった。そのときすでに彼は、20人前(皿)の肉を平らげていた。カルビ、ロース、タン、……。追加注文を聞いていたTSさん、「わたしはもういいわ」としとやかに云った。TSさんはそのとき、12人前ぐらいを召し上がっていた。さすが少食のTSさんである。その風景に吐き気と寒気を覚えたぼくはひたすら二人の食事が早く終わることを願った。「先生、日本の焼肉は口に合いませんか。1人前しか召し上がってませんが。まあ、ぼくたちは少し大食漢ですからねえ、少し。アハハ、……」 *大食漢:あくまで男のおおぐらいの者についていうことば。なお、この話、実話である。(2012-6-13)

(133)好きと嫌い

ハンサムなPくんは研究所で日本語を学ぶイギリス人である。Pくんの日本語力は目覚しく上達しているが、それはPくんの探究心によるところが大きい。漢字一つを覚える際にも、「どうしてこの字がこのような意味を表わすのだろう」と考えるのだ。象形文字はわかりやすかったが、会意や形声となると難しく、考え込む姿が目立つようになった。日本語を教える腰痛のFJ先生に言わせると、そのPくんの表情がなんともいえずイイのだそうだ。漢字講座を担当するサンドイッチ作りのうまいMN先生がPくんの質問を受けることが多くなって、それが腰痛のFJ先生には少し面白くない。今日もMN先生がいつもの、食パンにイチゴのジャムを塗っただけの(MN先生に言わせるとシンプルかつ上品な)サンドイッチを頬張っているところへPくんが現れた。「うわッ」というMN先生と、「オー、ノー」というPくんの声が重なったのは、MN先生自慢のサンドイッチからはみ出したイチゴジャムがMN先生の顎から下に滴っていたからである。チャンスとばかりに腰痛のFJ先生が云った、「今、MN先生はお食事中だから、わたしが……」「そうですか。あのー、〈好き〉という漢字と〈嫌い〉という漢字についてなんですが……」「うん、うん。〈好き〉というのはこう書いて、〈嫌い〉はこう書きます」「いや、字はわかるんですが、それぞれなぜこの字が〈好き〉で、この字が〈嫌い〉という意味になるか、教えて欲しいのですが……」「あ、あ、そう。MN先生、もうすぐ食事が終わると思うから、後でまた来てくださいね」 *〈好〉は会意で、[女+子]。慈しみ、好む対象としての女と子が組み合わされている。〈嫌〉は形声で、音符は兼。女が二人集まった様であるが、それがなぜ嫌ったり、疑ったりする意となるのか。わかるような、わからぬような。(2012-6-6)

(132)せまい

ハンサムなPくんは研究所で日本語を学ぶイギリス人である。Pくんが入学してきてから、腰痛のFJ先生の服装が変わった、と料理の得意なMN先生が面白がっている。今日も食パンにジャムを塗っただけのサンドイッチと称するランチに舌鼓を打ちながら話題にしている。腰痛のFJ先生、きのうの放課後、研究所の近くにあるO2ドームにPくんを誘ったのだそうだ。O2は世界のスーパースターたちがコンサート等を催す英国屈指のイベントホールだが、中には数多くのレストランも入っている。その一つ、お寿司ののったお皿が動いてくるお寿司屋さんに腰痛のFJ先生はハンサムなPくんを招待した。Pくんはできればお皿の動かないお寿司屋さんの方がよかったが、ご馳走してもらえるのだから贅沢はいえない。腰痛のFJ先生、レストランに行く前に家に戻り、洋服を着替えてきた。10年前のものだったがほとんど新品で、華やかなイエロー地に大胆な花柄といったお気に入りのワンピースである。ある事情があり、ここ7、8年、着ることをやめていたが、昨日はこれを着るぞと決意していたのだった。なんとかその事情を乗り越えて、レストランにやってきた。二人仲良く並んで食事を始めたのだったが、いつもは他の人の5倍ぐらいは皿を積み上げる腰痛のFJ先生、どうも調子が悪い。「センセー、どうしたんですか。おいしくないんですか」「いや、わたしは、少食でね。気にしないでどんどん食べなさい。あ、その皿ね、一番高い色の皿ね。いや、いいのよ、でもその色ばっかりじゃなくて、いろんなものを試してみたら?」 Pくんの前にはどんどん皿が積み上げられていく。腰痛のFJ先生はほとんど食べていないにもかかわらず、ワンピースのボタンがはじけそうになっている。「センセー、ご馳走様でした。きょうはエセックスのママと一緒にレストランに来た子どもの時のことを思い出しました。ママは家ではたくさん食べるのに、レストランではあまり食べないんです。たぶん、狭いドレスを着るからだと思いますが、……」 プチッとボタンの飛ぶ音がした。* 狭い:面積や幅が小さくてゆとりのないさまに使う。立体には使えない。「窮屈な」という意味で使ったのだろう。(2012-4-16)

(131)うるさい

研究所で日本語を学ぶイギリス人のハンサムなPくんは日本の歌も好きだ。それを聞きつけた腰痛のFJ先生、Pくんに話しかけた。「Pくん、日本の歌が好きなんだって? 日本の歌のことは何でもわたしに訊きなさい。わたしは日本の歌に関してはちょっとうるさいのよ。だれの歌が好きなの? ひばり? 美智也? それとも、春夫かしら?」「あのー、ぼくの好きなのはEXILEとかなんですけど……。先生がおっしゃっているひばりとかいうの、最近のでしょ、きっと。新し過ぎてぼく、わかりませーん。それから、先生、どうしてうるさいんですか? コンサートで踊ったりして騒ぐんですか? すごいですねえ」 二人の会話を聞いていたMN先生が優しい微笑を浮かべながら云った、「そう、FJ先生、春夫の歌に合わせて踊るの得意なのよ。特にオリンピックのときなんか」 腰痛のFJ先生、キッとMN先生を睨みつけながら、「あ、そう、エクササイズが好きなの。わたしもちょっと好きだけれど、……」 すかさずMN先生が云う、「そうそう、FJ先生、エクササイズが好きなのよ、腕立て伏せとか」 *うるさい:「煩い」あるいは「五月蠅い」。同じことが繰り返されて、嫌になることをいうが、転じて、嫌になるほど隙のないすぐれた状態にも使う。(2012-4-16)

(130)くせに

研究所で日本語を学ぶイギリス人のPくんの好物は納豆である。甘納豆ではなく、あのネバネバした、いかにも外国の人が敬遠しそうな納豆である。ロンドンにある居酒屋にいくと、まず注文するのがこの納豆。研究所で日本語を学ぶイタリア人やフランス人の友人はそのため、Pくんの傍に座るのを嫌がる。匂いが苦手なのだ。日本語を教える腰痛のFJ先生はそのPくんがお気に入りで、となりにはいつも腰痛のFJ先生がサロンパスの匂いを漂わせながら座ることになる。ハンサムでかっこいいPくん、気持ちも優しく、腰痛のFJ先生にも笑顔で話しかける。「ぼくはイギリス人のくせに納豆が好きなんですが、センセーは女のくせにお酒が好きですねー」「な、な、なによ。女のくせにって。女だって、お酒の一升や二升、普通呑むのよ、最近は」「センセーは最近の女でしたかアー。そうでしたかアー」「きみね、そのアー、と延ばすのをやめなさい。それから、〈くせに〉ということばは相手を非難するときに使う言葉だから、私のような繊細な女性に使うのはいけないのよ」 腰痛のFJ先生、6杯目のコップ酒をあおりながら、先生としての威厳を持って注意する。Pくん、少し緊張して訊く。「センセー、繊細って、なんですか? 強いとか、怖いって意味ですか」腰痛のFJ先生の持っていた割り箸が折れた。*くせに=非難の意があるため、通常は自分のことには使わない。自分のことを言うときは「なのに」の方が適当。もちろん相手に向かって言うときはよほど注意して使わないと、失礼になる。(2012-3-28)

(129)槍が降ろうが

研究所で日本語を学ぶイギリス人のPくん、日本に行く計画を立てた。今年の夏のホリデーの2週間を日本観光で楽しもうというわけだ。オックスフォード大学を卒業し、英国のメディアで働く彼は32歳、大の日本ファンである。着ている物はほとんどユニクロで、ランチは自分で作ったおにぎり。バスタブには日本の温泉の入浴剤(粉末)を入れる。昨夜は指宿(いぶすき)のお湯にしたそうだ。奥さんにするのは日本人女性以外は考えられないとも宣言している、無謀なことに。とにかく徹底した日本マニアなのである。しかし、Pくん、まだ一度も日本に行ったことがない。そこでようやく今年、日本旅行を計画した。そのために綿密な計画を立てた。何しろ勉強好きなPくんである、この数ヶ月で日本に関する30冊近くの解説書を読破した。ところが最近、憂鬱なPくんである。昨年の大地震と津波はこのロンドンでも大きく報じられた。そして最近、大きな地震が近々また、起きそうだというニュースが報じられ、Pくんの母親が日本に行くのに反対しているのだ。Pくんが日本語を教える腰痛のFJ先生に云った、「ぼくは、雨が降ろうが槍に突き刺されようが、絶対ッ、日本に行きます」と。FJ先生は腰をさすりながら励ました、「大丈夫、誰も槍で君を突き刺したりしないから。危ないし、痛いし」と。*雨が降ろうが槍が降ろうが=no matter what/which/when/why/how の意。直訳すればeven if rain falls or spears fallか。どちらも〈降ら〉ないとことばとしてのリズムがなくなる。(2012-3-21)

(128)朕(チン)

漢字の得意なNくんである、そうだ。自分で云うのだから間違いないだろう。優しいTSさんが敬意をもって訊ねる、「常用漢字っていうのがあるじゃない?」「えッ、ジョウヨウカンジ? ああ、ジョウヨウカンジね、ジョウヨウね、ジョウヨウ、……。」「どうしてね、朕という漢字が含まれているの?」「えッ、なにッ? チン? チンって、……。あッ、そりゃあ、おかしいことないよ、世の中には珍しいと思うことがたくさんあるからね、そんな時、珍という漢字があった方が便利だしね」「いや、そのチンじゃなくてさ」「なに、じゃあ、どのチンだよ? ……、えッ、TSさん、そりゃあ、いけないよ、一応女性の君が、恥ずかしげもなくそんなこと、云っちゃあ」「なに? えッ、なに云ってんのよ? そもそもそのチンって漢字、あるの、常用漢字に?」「えッ、どのチンさ?」「いやだあ、淑女の私に云わせるの? セクハラだわ、これ。それになによ、一応女性って?」 勤務中の会話である。二人の会話を聞きながら、下やんが鼻毛を抜いている。*朕(チン):天子(天皇)の自称。「私」の意味。憲法に使われているため、常用漢字に入れる。「印」の意味の「璽(ジ)」も同じ理由で収める。(2012-3-6)

(127)議員の日本語

日本出張中のぼくは、国会中継とニュース以外のテレビ番組はほとんど見ない。かつてはいろいろ見ようとする意欲があったのだが、あまりに面白くなくて、貴重な時間がもったいないと思うようになったのだ。国会中継を見るのも無駄といえば無駄だが、テレビに映った議員たちの表情を見、ことば遣いを聞いていると、これはコメディ番組かなといったおかしさがある。主役の質問者と答弁者の他にも、楽しむ材料がいろいろあるのだ。たとえば、質問者の傍に座る議員たち。テレビに映っていることを明らかに意識したその表情は拍手をしてあげたくなるほど緊張していて、実にいい。録画していて後で見るんだろうなあ、有権者の目も意識しているんだろうなあ、と思わせるくらい表情に力が入っている。主役の議員たちよりも疲れるのではないだろうか。かと思えば、テレビには映らないだろうと思われるところに陣取る議員の中には、時たま議場の様子を映すテレビカメラが、コックリと舟を漕ぐ姿や太い指が顔の中央に胡坐をかく鼻の穴の清掃にいそしむ様子をしっかり映すことがあるのに気付かぬ者もいる。カメラマンがそういったものだけを狙って中継する番組を作ったら面白いだろうなあ。議員を叱咤激励する投書よりも効果があるのではないだろうか。さて、この議員さんたちがよく用いる用語(漢字)の読み間違いをいくつか紹介する。■①早急に=「そうきゅう」が多いが、もともとは「さっきゅう」が正しい。今は許容。②依存=「いそん」。「いぞん」はやや許容。③既存=「きそん」。「きぞん」とは読まない。(2012-2-29)

(126)別に

いつだったか、ぼくが日本に出張しているときだった。売り出し中の女優さんが、インタビュアーの質問に、無愛想に「別に」と応えたその態度が問題になっていた。テレビなどのメディアでは、いわゆるバッシング bashing が連日繰り広げられた。「生意気だ」というのである。その過剰な報道振りの方がぼくには奇異であったが、いずれにしてもなんと平和なことかと思ったのだった。その女優さんが飛びぬけて美形であったことが、そうではない女性を中心として反発の対象となったのだと自称・芸能評論家としてのNくんが解説する。なるほど(コンビニで)週刊誌を何誌も丁寧に読み込むNくんのことばには、そんなことどうでもいいよと関心のなさを正直に表すことを許さぬ(困った)迫力がある。「ところで、この〈別に〉を、〈特に〉に言い換えたらどうだろうか」とNくんに訊いてみた。「いやあ、センセー、なに云ってんですかあーッ、E様は〈別に〉と云ったんですよおーッ」「いや、だからね、それをたとえば〈特に〉と云っていたらどうなってたんだろうなあ、と思ってね」「何で今、〈特に〉について考えなければならないんですかあーッ。そういうとこ、センセーの悪い癖ですよおーッ、ホント」「……」 そばにいたTSさんに「君、どう思う?」と訊いてみた。TSさんがニコッと笑って応えた、「別に」と。すると、 Nくんがすかさず云うのだった、「TSさんの場合は、反発されないからいいんですよ、誰からも。ねッ、TSさん?」 TSさんが握っていたボールペンが二つに折れた。■「別に」も「特に」も、「特別には……ない」を縮めたことばだが、「特に」は「特に日本酒が好きです」などと後に肯定表現を持ってくることができる。「別に」がやや意固地になって、拒絶や拒否のニュアンスがあるのに対して、「特に」にはそれほどの感情を感じない。(2012-1-17)

(125)渋い

明けましておめでとうございます。今年も日本語の世界を楽しく歩きたいと思います。■大晦日、Nくんは紅白などは見ない。神社に行き、手を合わせ、頭を垂れる。賽銭だって奮発して50円玉を、さっと、少し未練を感じながら放り込むのだ。隣の男がひらひらと紙幣を入れようとするのをみると不愉快になり、自分のお願いしたものが後回しにされるのではないかとちょっと神様を疑ってみたりもする。初詣がすむと、初日の出を迎えるために山に登る。今年はTSさんも誘って連れてきた。初日の出を山に登って迎えるという自分はなかなかシブいと胸を張るNくんだったが、TSさんがヒールのある靴で息も切らせずさっさと登っていくのをみて大いに自尊心が傷ついた。確かに周りを見るとみんないやに軽装なのだ。赤ちゃんを乳母車に乗せて押している女性もいる。いくら15分程度で頂上に着く程度の山(丘?)とはいえ、ムードというものがあるだろう、とNくん、舌打ちをする。頂上には売店もあって、TSさんに何か買ってあげるとするか、と気持ちを変えようとするNくんだったが、紙コップに入ったインスタントコーヒーが1杯で800円というのに驚き、「きっとまずいよ、あんなの」とやや頬を引きつらせた笑いで買うのをやめる。TSさんはご来光を拝みながら心の中でつぶやくのだ、Nくんってシブいなあ、と。■シブい(渋い)というこの言葉は若者もよく使う。もともとは渋柿のあの味を意味するが、「渋い顔をする」「金払いが渋い」などのネガティヴなものの他に、「なかなか渋いいい声だ」とか、「渋い色のいい着物だね」などとポジティヴな場合にも用いる。(2012-1-10)

(124)可能性・危険性

Nくん、実は少林寺拳法の有段者である、そうだ。そういえばどことなく格闘技をたしなむ風情がある。たとえばOの字に器用に曲げられた短い脚などはいかにも、とうならせる。あまり見かけなくなったかつての電信柱が一本、きれいに通り抜けることができそうな見事なO脚である。この凛々(りり)しいN君のすがたにいつも笑っている、いや見とれているTSさんであるが、気になることがある。豪放かつ小心な下やんと三人、居酒屋でお酒を呑んだりしたときに、酒癖の悪い見知らぬ客などが変にからんでくることがある。そういう時はまず下やんが、「いい加減にしろッ!」と相手を怒鳴りつける。先輩の貫禄である。相手が「すみません」となれば、下やんが「わかればそれでいいんだよ」とさらに貫禄を見せる。「なにをーッ」とくると、下やん、Nくんにさっと交代する。先輩の貫禄である。Nくん、さすがに、脚に、いや腕に自信があるからか、じっと相手を睨みつける。そのときTSさんは思うのだそうだ、相手を傷つける可能性があると。もし傷つけたら大変だと心配するのだ。大抵はこのあとNくんがにやっと笑って、「すいませーん」といっておしまいになるのだが。■「相手を傷つける可能性」は「危険性」の方が適切。「成功する可能性」とはいい、可能性には期待感が多くの場合含まれる。(2011-12-14)

(123)落語家・噺家

落語協会の会長を務める柳家小三治は自分のことを噺家といい、談志は落語家といった。「小三治」は名の通り、柳家の留め名である「小さん」の次の名であり、通常ならば小三治が小さんを継ぐ。しかしながら5代目小さん(人間国宝)のあとは小さんの息子が継いだ。この6代目の襲名披露(新宿末広亭)にはMN先生やNくん、TSさんも連れて行った。滞日中の貴重な時間を使ったというわけだ。けれども、この6代目、さっぱりなのだ。彼の著書『ぜいたくな落語家』は末広亭で売られ、一番最初にぼくが、あの愛すべき橘家圓蔵(もと月の家円鏡)から買った。が、少し読んだら面白くないので止めた。小三治は、いい。かなり、いい。やはり小三治が継ぐべきだったな、と思う。まあ、そんなことはどうでもいい(が、少しこだわってもいる)。6代目だって、きっとうまくなる(はずだ)。問題はこの噺家という言い方と落語家という言い方のどちらが適切かということである。談志にはそれほどのこだわりはないようだが、小三治は「自分は落語家というより、噺家だ」とこだわっている。落語のことを初め「オトシバナシ」と読み、明治中期より一般に「ラクゴ」と読むようになったというのが広辞苑の説明である。いわゆる「落ち」のある話である。小三治がこだわる「噺家」ということばの響きには職人の香りがする。天才・談志と職人・小三治、それにやはり亡くなった名人・古今亭志ん朝、あ、それから自ら逝った関西の鬼才・桂枝雀の四人会なんて落語会があったら最高だろうなあと思う。今となったらかなわぬ夢だ。あちらの世界ではできるかな、いやまだ小三治が残っているから、あちらでも無理だ。では何とか、小三治にも頑張って、早く向こうに行って貰わねば、……。いや失礼。(2011-12-06)

(122)馬鹿

どうもいけない。体調がすぐれない。酒もやめてまさに静養に努めているのだが、一月経っても少し歩いただけでふらふらしてしまう。もっとも、講義やゼミの間は何とかなるのが不思議である。ま、大したことはないだろう、若いのだから。■談志が死んだ。落語家・立川談志がついに死んだ。ついに、というのはやや不謹慎だが、談志はここのところの高座ではいつも、「これが最後になるかもわかんないよ」などといっていたのだ。毎週一席ずつ談志の落語をDVDで楽しんでいたぼくは、この前の日曜日にロンドンの我が家で、一人で追悼落語会を開いた。演目は「居残り佐平次」と「芝浜」。そして、しんみり。■その死ぬ間際の談志に、石原慎太郎(都知事・作家)が電話をかけた。声の出ない談志に「おい、談志。おまえもそろそろくたばんだろ、ざまあみろ」と語りかけ、「ちょっと、でてこいよ」とか「馬鹿やろう」とかいったという。それに対し談志は「ハッ、ハッ」とあえぎながら涙を流した。二人の心の通じ合いに、そばにいた家族も涙した。■いつだったか、与党の政治家が震災で死んだ親友のことを「早く逃げればいいのに、馬鹿なやつだ」と悔やんだ。するとメディアや野党がそれを「ひどい」と攻撃した。気持ち悪いほど賤しいメディア連中の汚臭のする息遣いには辟易する。では慎太郎が攻撃されるかというと、どうもそうではないようだ。■この「馬鹿」ということば、すっからかんの本物の馬鹿には理解できない。サンスクリット語で「無知」を意味する「baka」に文字を当てたのが語源であるようだが、諸説あるいは俗説がいろいろある。 (2011-11-29)

(121)方・人・者

日本出張中に風邪を引き、帰英後もむしろ悪化して、このコラムを長い間お休みした。ごめんなさい。■日本出張中に耳にしたことばで気になったものに、「私は甘いものが嫌いな人ですから」というものがある。自分のことをいうのに「ひと(人)」ということばを使うのである。ずいぶん耳にした。あのN君も、「ぼくは子どものころから繊細で傷つきやすいと言われ続けてきた人ですから」などといい、TSさんもまた、「わたしはあまりに少食で、そんなことでは大きくなれないよ、もっと食べなさいといわれ続けてきた人です」などといっていた。ぼくの風邪がひどくなったのはおそらく、こういった言語環境にいたからだろう。■この「ひと」といういいかたにはある種の敬意が含まれている。「あいつ」とか「あの男」などというのを、「あの人」に言い換えてみるとその違いがわかる。さらに敬意を高めるには「かた(方)」が用いられ、逆に下げるには「もの(者)」が使われる。「わたしは隣に越してきた者ですが、……」などと自分のことをいうときに適している。高価な装飾品で着飾ったご婦人が自分の子どものことを「この方はちっともお勉強をしようとされませんのよ、オホホ……」などとのたまったりするのを聞くと、ぼくもまた「オホホ」と笑いたくなるのである。(2011-11-16)

(120)奇しくも

■下やん(SKさん)の表情がすぐれない。下やんには一人の美しい奥さんと一人の可愛い娘がいる。いつのころからか家庭内の序列が、奥さん、娘(千葉大生)、下やんの順に定まった。そこへ昨年の夏、ウメ(梅)という家族が加わった。娘の名前がさくら(桜)で、今度はウメ(梅)だ。名付け親は下やんで、たいそう可愛がっている。ウメは可愛いオスイヌである。下やんが仕事から帰宅して自分で玄関の鍵をあけて中に入ると、ウメがかけてきて尻尾を振る。抱き上げるとうれしそうに下やんのほっぺをぺろぺろとなめる。奥の部屋からは美しい奥さんの美しいいびきが聞こえる。ところがほぼ1年経った最近、様子が変わってきた。下やんが疲れた体で帰宅してもウメが現れなくなったのである。ウメのいるところに行ってみても、おきていたはずのウメがとっさに寝たふりをするのだ。奥さんや娘には愛嬌を振りまくウメであったが、下やんにはけだるいまなざししか向けてこなくなった。どうやら家庭内の力関係を察知したらしいと下やんは嘆く。■「N、おまえ、ペットを飼ったことがあるか?」「はい、ぼくが小学生のころ、庭に迷い込んできたタヌキを爺さんが捕まえて、檻に入れたまま育てたことがあります」「TSさん、きみは?」「父が山でキツネを捕まえてきて、それを育てたことがあります。それがなにか?」「いや、もういい」「あのう、SKさん、ぼくはそんなに気にされる必要はないと思いますよ。ぼくのタヌキもキシクモSKさんのイヌと同じウメという名前だったんですが、2、3日続けて好きそうなエサをやったらよくなつくようになりましたから」「あのなあ、ここ3日間ほどな、おれとウメとはな、同じものを食べてもいるんだよな。しかも、おれが帰ったときには当然、ウメの食事は終わっているんだよな」「じゃあ、ウメの残りを、……」 *「奇しくも」は「クシクモ」と読む。「キシクモ」は間違い。古語・形容詞の「くし」の連用形に助詞の「も」が付いてできた語である。「くし」は「異」の意。「酒」を「くし」と呼ぶこともある。酒の持つ霊妙な力を示すところから。 (2011-09-29)

(119)腹芸

■Nくんの実直さを心配するのは千葉県佐倉在住の下やん(SKさん)である。ぼくが日本各地で講演をしたり、新聞社や雑誌社の取材を受けたり、テレビやラジオに出演したりといった活動のプロデューサーである。後輩のNくんを可愛がる下やんであるが、Nくんの真っ直ぐな性格が時にNくんを苦しめたりするのではないかと思うのである。「おい、N、今日は呑みに行くぞ」「え、ありがとうございます。ご馳走になります」「割り勘にきまっとるやろうが、なに考えてるんや、お前は。後輩が先輩におごるってことがあってもいいんだぞ、たまには」■居酒屋である。ずいぶん飲み食いしたあとの二人の会話である。傍にはなぜかTSさんも満腹になったお腹をさすりながら座っている。「いいか、N、人間は真っ直ぐなだけではいかん」「はいッ。SKさんのようにいい加減にがんばりますッ」「なにッ、俺のどこがいい加減なんだッ! 俺には応用力があるってことなんだよ、わかるか、N。お前、腹芸って知ってるか?」「ああ、SKさんが時々宴会のときにされるふんどし一丁の裸になって、お腹のところにマジックで顔を描いて踊るあの芸ですか? TSさん、あれ大好きですよ、ね、ね?」「ん? あれは腹でする芸だ」「ですから、腹芸でしょ?」「もういい、こっちの頭がおかしくなる。帰ろう、会計して来い、立て替えとけ、今夜はお前が」「ああッ、あ、あ、あッ」「どうした」「ちょっと、お腹が、ああッ」「腹が痛いのか?」「あ、あ、あッ。とても立てない、動けない、払えない」「このヤロー、……」 *腹芸=広辞苑によれば、「言動や理屈によらず、度胸や経験で物事を処理すること」。外国人には次のように説明されたりもする。intuitive decision making, going on a gut feeling, negotiating without the use of direct words (2011-09-21)

(118)舌先三寸

TSさんはNくんの実直な人柄が好きだ。とにかく真っ直ぐで、曲がったことやものが嫌いだ。ラーメンも、札幌ラーメンのような縮れた麺はだめで、博多ラーメンのように真っ直ぐな麺しか食べない。冗談のような軽口が嫌いで、だから漫才の類は見ない。たまにテレビで漫才師が演じていたりすると、不真面目な連中だ、と怒ったりもする。あんなくだらないことを云うから人に笑われるんだ、とつぶやく。笑われるために演じているということがわからないようだ。新聞購読の勧誘の人がやってきたときも、いろいろと説明するのを嫌がり、「読んでください、と一言でいいんだ」と怒鳴った。それでその人が「読んでください」と云うと、「いりません」と一言で断ったのだった。「ぼくは口先三寸の人間は嫌いだ」とまるで高倉健のような雰囲気で云うのだった。TSさんも同じ思いを持つが、ただNくんのこのことばを聞くたびに何かが間違っているような気がいつもしている。*口先三寸ではなく舌先三寸が正しい。「(三寸ほどの小さい舌の意で、内実の伴わないという気持を含む)くちさき」(広辞苑)。一寸は3.03センチだから三寸といえば決して短くはないと思うのだが。(2011-09-13)

(117)とりあえずビール

日本出張中の居酒屋である。「センセー、飲み物はなんにされますか? やっぱ、とりあえずビールで?」とNくん。「そうだなあ、ビールはそれだけでおなかいっぱいになっちゃうからなあ、どうしようかなあ」とぼく。「では、とりあえずビールということで。生ビール、三つ。大ジョッキで」とさっさと注文するNくん。冷たい日本酒が飲みたかったのだが、ぼくの話など聞いてはいない。TSさんには訊ねてもいない。「で、つまみはどうしますか? お刺身かなんか?」「ここ、おいしいお刺身があるのかなあ」「では、お刺身の盛り合わせをくださーい、特上を。枝豆も。あ、それから鶏の空揚げね」 やっぱり、聞いてはいない。そのあと次から次へと注文したが、テーブルの上に並んだものは全て、Nくんの好みの料理であった。ほとんどが油っぽくて、やや疲れ気味のぼくには食が進まない。「いやあ、食べましたねえ、今日は」とNくん。TSさんもげっぷをしながら両手でおなかをさすっている。ぼくが食べたのは最初のお刺身をふた切れと、枝豆三粒である。二人の食べるスピードもすさまじく早い。「ところでねNくん、なぜ〈とりあえずビール〉って云うの?」「いやあ、センセー、食後にいろいろ考えるのは健康上よくありませんよ、ねえ、TSさん」 真面目なTSさん、さっと電子辞書を取り出して調べる。ただ、首を傾げるTSさんの電子辞書のディスプレーに表示されている検索語は「ビール」であり、ぼくはまたしてもめまいを覚えるのだった。*とりあえず:「取り敢えず」「不敢取」。「他のことはさしおいて、そのことをまず第一にするさま。まずさしあたって。間に合わせとして。」(日本国語大辞典・第二版) ロンドンの居酒屋には「とりあえず」というメニューのあるお店がある。いわゆる「突き出し」で、酒の肴の小鉢である。この「突き出し」という語も、なかなか味のあることばである。調べてみてほしい。(2011-09-07)

(116)いかにも

夏休みである。奈良からNくんの甥(おい)が遊びにやってきた。小学4年生の桃太郎君である。名前はNくんのお父さんがつけた。世の中の悪事を退治する正義の味方なのである。東京は初めてなので毎日遊び歩いたのだったが、休みも残り少なくなり、夏休みの宿題が気になり始めた。そこで、心優しいTSさんが手伝ってやることになった。ところが、小学生の宿題だからといって侮るわけにはいかないなあと実感するTSさんだった。算数の鶴亀算にはてこずった。傍で口を出すNくんがとにかく邪魔だった。「なになに、国語の短作文の問題かあ。〈いかにも〉を用いて文を作りなさい、か。なるほど……」 桃太郎君、真っ赤になって考えるのだが、思いつかないようだ。Nくんが得意気に云う、「これは海に面していない奈良の子どもには難しいよねえ、TSさん?」「えッ?」「いいか、桃太郎、Nおじさんの云うことをよく聞くんだぞ。ほら、村にこの前、スーパーができただろ、〈スーパー・豊作〉。あそこで魚を売るようになっただろ? よく思い出すんだ。イカには何がある?」「えーと、吸盤、いぼいぼの」「そうだ、いいぞ。その吸盤は、イカだけにあるか?」「えーと、タコにもあるよ」「ウン、えらい。だから、〈いかにもたこにも吸盤がある〉と書けばいいんだよ」「そうかあ、やっぱりNおじさんは偉いなあ」 頭痛を覚えるTSさんだったが、いかにもNくんらしいといえば、納得がいくのだった。桃太郎君の始業式が心配である。*いかにも:「いかにもなる」という云い方がある。「どのようにでもなる」という意から転じて、「死ぬ」という意味に。ことばにはいろいろな意味・用法があるので、楽しみたい。(2011-08-30)

(115)早起きは三文の徳

Nくんのぎっくり腰も治り、TSさんも一安心である。Nくん、若いのにこんなことではいけないと一念発起、毎朝5時に起きてジョギングをすることにした。今朝がその初日である。30階建ての超豪華マンションの脇の2階建て木造アパートの一室を飛び出すと、まだ半分眠っている都会の朝に軽快なシューズの音を響かせる。ぼくはまるで映画「ロッキー」のシルベスタ・スタローンのようだな、と思うNくんである。Nくんは確かに学生時代、指相撲クラブの副主将も務めたつわもの(兵)である。部員は二人だったが、指を鍛えるために、せっせとあや取りなどの基礎運動に汗を流したものだった。初日のジョギング・500メートルを無事終えたNくん、どうだという顔つきで出勤した。今日からぼくは今までのぼくとは違うぞ、といった力の入った表情である。TSさんが云う、「今日のNくん、なんかいつもと違う感じね」「えッ、わかる? ちょっと引き締まった感じでしょ? なにしろ、スタローンだから」「スタローンって、なに?」「いや、今朝から早起きをしてね、ジョギングを始めたんだよ」「なんとなく、違うわねえ、いつもと」「そりゃあ、云うじゃない、早起きは三文の得があるって」「あッ、そうか」と云うとTSさん、Nくんに鏡を差し出した。鏡に映ったNくん、左の眉の半分が、剃り落とされていることに気付いた。眠さをこらえて起きた朝、朦朧としながらひげを剃った際、どうやら眉の半分も剃ってしまったらしい。*早起きは三文の徳:「徳」が正しい。「早起きをすると良いことがあるということ」(広辞苑)で、「得をする」という意味ではない。(2011-08-23)

(114)印籠

TSさんの食欲が落ちている。もともと少食だと本人が云っているTSさんであるが、たしかに最近は、食事のあと必ず食べるケーキが3個から2個に減っているし、ラーメンを食べる際に一緒に食べる餃子も2人前ではなくなった。ラーメン自体は大盛りのままだが。このままではTSさんがやせてしまうと心配した優しいNくん、今まではこっそり自分だけで食べていたチョコレートの3分の1はTSさんにもあげるようにした。しかし、どうしたのだろう、とNくんは考え込む。あれはぼく(Nくん)がぎっくり腰もどきになり、このまま死んでしまうかもしれないと思ったぼくがつい、「TSさんが好きだった」と告白してからのことだ。しかし、それが原因だろうか。病院で順番を待つ間に4、5人の女の子に同じように電話で告白をしたけれど、誰も食欲など落としてはいない。ガハハ、と笑われただけだ。そんなNくんの大きな勘違いをよそに、TSさんは落ち込んでいた。なんと、あの、水戸黄門がとうとうテレビから消えるというのだ。「人生、楽ありゃ、苦もあるさ、ダダダダーン、……」の主題歌も聞けなくなる。目の前でうるさいNくんには楽しか感じないが。いや、楽というより、おめでたいというべきか。「ね、TSさん、あんまり、気にしないでね、あれさ、なんとなく云ったんだからさ、エヘヘ」とNくん、美しい村娘に言い寄る悪代官のようにうるさい。「いっそ、印籠でも渡してやるか」とTSさんがつぶやく。「え、印籠が、どうしたって?」 *渡すべきは印籠ではなくて引導。「引導を渡す」は「もう完璧に、絶対に、どうしてもだめ、というような最後の宣告」。水戸黄門で頭の中が一杯だったTSさん、つい間違ったということだろう。(2011-08-16)

(113)ぎっくり腰

Nくんは安定した青年である。いや、精神的にというのではなく、体型的にといった意味である。他の人よりかなり長い胴を、かなり短い脚でしっかり支えている。そのNくんが今日、突然、病院に行くことになったとのメールが日本から届く。「食べすぎでおなかでも壊したのかな」と指をポキポキ鳴らしながらMN先生が心配する。「飲みすぎじゃあないですか」と昨日の芋焼酎のお湯割の晩酌の残り香漂うFJ先生が笑う。「まあ、大丈夫じゃあないですか、よくわかんないけど」とフリー・ペーパー「METRO」のスポーツ欄を読みながらTD先生がつぶやく。「申し訳ありません」と事情を知らないMY先生が、なぜか謝る。連絡によると、次のようなことだったようである。お昼にコンビニに行ったNくん、5個で200円といった安売りの肉まんを買って、うれしそうに帰ってきた。TSさんにも食べないかと勧めたが、何しろ少食のTSさんである、断った。実は30分前に同じ肉まんを買って、こっそり一人で全部食べたとは云えなかった。Nくん、ほぼ5分でその肉まんを全て平らげた。しばらくすると眠気が襲った。つい、うとうととしたNくん、自分のいびきのものすごさに飛び起きた。そのときである。「あれッ、今、何か、ギクッというような音がしなかった?」「うん、私にも聞こえた。でも、Nさんのほうから聞こえたけど」「そうだよね。ぼくの周りからだよね。あれッ、あれあれッ。痛くない?」「私は何も痛くないけど」「あれッ、かなり痛いけど、痛くない?」「どうしたの?」「いやあ、痛いよッ、腰がッ」「えッ?」「うわーッ、痛いよッ。TSさん、ぼくの腰、体から外れてないッ?」 病院に駆け込んだNくん、軽いぎっくり腰と診断された。病院に行く前にはNくん、「いろいろとお世話になったけれど、実はTSさんのことが好きだった」と告白した。それを聞いたTSさん、びっくりして腰を抜かした。*ぎっくり:「ぎくり」が促音化したもの。「きっくり」「きくり」と同じ。驚いたり、動揺したりするさまを云う。「びくり」などとほぼ同じ意。「物が角立って急に折れ曲がるさまを表す語」(日本国語大辞典)。「ぎくしゃくする」の「ぎく」も同根。 (2011-08-05)

(112)今

Nくんが帰省した。ふるさとは奈良の山村である。お見合いをするために帰ったのである。Nくん、緊張などしていない。今度で18回目のお見合いである。ベテランなのだ。趣味といってもよい。今度の相手は、前々回のお見合いの相手の友達のいとこが働いている職場の同僚だそうだ。もはやNくんを中心としたお見合いの輪は大きく広がっており、同窓会なんかが開けそうな勢いだ。お見合いは地元のヘルス・センターの喫茶店「杉の木の下で」で行なわれた。地元で唯一自動ドアのあるお店である。このお店でするお見合いも今回で6回目である。店のおばさんが「がんばってね」と励ます。にっこり笑顔を返すNくん、余裕の表情で席に着く。相手の女性がミルク・ティーを頼み、Nくんはコーヒーを注文した。運ばれてきたコーヒーに砂糖を入れていると、相手の女性が訊ねた、「今、何をされているんですか?」 Nくんが応える、「砂糖を入れています」 *今:Nくんの<今>は、広辞苑が説明する3番目の意味、「現に話をしているこの局面(で)」のことである。辞書の説明を読んでもらいたい、いろいろな意味をこめて、この<今>ということばは使われている。TSさんはため息をつく。19回目の見合いはいつだろうか。ああ!(2011-08-02)

(111)毎度おさがわせします

Nくんは心根の優しい青年である。コンビニでデラックス弁当を買ったNくん、道を歩いていると、郵便ポストの脇にホームレスの男が座っている。その前を一度通り過ぎたが引き返し、買ったばかりの弁当を男に渡すと脱兎のごとく駆け出した。オフィスに戻ったNくんにTSさんが訊いた。「あれッ、弁当を買いに行ったんじゃないの?」「ウン、まあ、いつもデラ弁ではね。ちょっとおなかの調子も悪いしね、今日は昼抜きにしたんだよ。あんまりおなかもすいていないしね。アハハ……」「大丈夫?」「ウン、……」 Nくん、お茶をがぶ飲みしている。そこへ、廃品回収の車のスピーカーの声が流れてきた。「毎度おさがわせしております、ちり紙交換です。……」 しばらくするとまた、今度はホットドッグ屋さんの車である。「毎度おさわがせしております、おいしい、おいしいホットドッグはいかがですか。……」 椅子から立ち上がったNくん、窓からホットドッグ屋さんの車を見つめる。グゥー、という音が聞こえる。Nくんにまけず優しいTS さん、財布を持ってオフィスから飛び出すと、ホットドッグを買って戻ってきた。3本のホットドッグを手にしている。「おなかの調子が悪いということだから、ホットドッグはまずいかなあ。でも一本ぐらいはいいでしょう?」 TSさんの徹底した優しさに、Nくん、うれしいような、悲しいような……。*ホットドッグ屋さんの「おさわがせ」が、ちり紙交換屋さんの「おさがわせ」になった。いわゆる「転換」による間違いで、結構よくある現象である。秋から冬にかけて白い花を咲かせる「山茶花」は「さざんか」と呼ばれるが、これは「サンサクヮの転」(広辞苑)である。(2011-07-22)

(110)慇懃無礼(いんぎんぶれい)

昼休みにNくんの中学時代の友達が訪ねてきた。身なりも垢抜けていて、とても同じ村出身とは思えない。ただ、お土産にバナナを一房持ってきたのが、いかにもN君の友達らしいが。言葉遣いは丁寧で、滑らかである。「NくんはTSさんみたいな素敵な人と一緒に仕事ができて、うらやましいなあ」などとTSさんの前でぬけぬけと云うことだってできる。そう云われてTSさんも嫌な気はしない。特別のときのためにとっておいた英国の紅茶をウェッジウッドのティーカップに入れて、笑顔でもてなすのだった。その彼はひとしきり昔話をすると立ち上がり、帰る仕度をすると、「あ、そうだ」とふと思い出したように、彼が勤めている保険会社の保険のパンフレットを出して、「これなんかNくんやTSさんにちょうどいい保険だよ。この用紙に記入しておいてくれたら、今度の火曜日にまた来るから」とさりげなく渡して、帰っていった。「なかなか素敵な人ね」とTSさんがペンをとってその用紙に書き込みながら云うと、「なーに、あいつなんか、クラスで下から2番目の成績だったんだぜ。大したことない、ない」とNくん、TSさんの友達への優しい応対が気にくわない。TSさん、危うく、「下から2番目って、一番下だったのは、もしかして……」と訊きそうになって、言葉を飲み込む。「でも、言葉遣いもきれいだし……」「あいつはインキンだよ」「え?」「ほら、云うだろ、口先だけで心の中は実は馬鹿にしているような態度のこと、インキンオレイって」「……」 *慇懃無礼(いんぎんぶれい):「うわべは丁寧なようで、実は尊大であること」(広辞苑)。Nくん、意味はきちんとわかっていたのだが。それにしても心配なのは、もしかしてもう保険に入ったのかな?(2011-07-20)

(109)爪の垢

Nくんが本を読んでいる。ちゃんと文字が並ぶ本である。TSさんが空を見上げる。今のところ青空だ。「大丈夫?」「え、なにが?」「いえ、大丈夫ならいいんだけれど。頭痛くない?」「痛くないけど、どうして?」「気分悪くない?」「悪くないけど。優しいなあ、TSさんは。でも、どこも悪くないよ、おなかはすいたけど」「なに読んでるの?」「本」「それは見ればわかるけど。なんの本?」「ウン、難しい本」「どんなこと、書かれているの?」「ウン、難しいこと」「だからさあ、どんな難しいこと?」「それがわからないから、難しいといってるじゃないか」「……」「ほら、大震災の被害者のために100億円寄付した人がいたでしょ? あの人、一代であんなに大金持ちになったんだって。あの人さあ、たくさんの本を読んでものすごく勉強したらしいんだよ、それでぼくもまあ、爪の汚れでもなめようかと思ってね」「それをいうなら、爪の垢を味わうでしょ」 *爪の垢を煎じて飲む:「すぐれた人に対した場合、せめてその人の爪の垢でももらってという気持で、その人にあやかるようにする」(広辞苑)。ここでは「煎じて飲む」ということが大切。つまり、垢を薬に見立てて、煎じて飲むと効果があるという話である。NくんもTSさんも十分立派な、心優しい若者なのだから、大金持ちになんかならないほうがずっと幸せなのだ。ちょっとだけ周りが苦労をするが。(2011-07-11)

(108)タッチの差

Nくん、例のデラックス弁当の姫のことが今日も気になっている。実はあの後、一度も遭遇していないのだが、純粋なNくん、今日こそはと角のコンビニに通い詰めている。そして必ず、鮭の入ったデラックス弁当を買うのである。何もデラックスでなくてもよいと思うのだが、デラックスでないと彼女に会えないと信じ込んでいるのだ。あと10分で昼食休憩の時間である。もう1時間も前から、Nくん、壁時計にたびたび目がいく。「この時計、もう30分は経っているのに、30分しか針が進んでいないよぉーッ」と、よくわからないことを叫んでいる。そばで書類の整理をしている優しいTSさんが微笑みながら云う、「今日もデラックス?」「うん。きのうはタッチの差で最後のデラックス弁当に間に合ったんだけど、残念ながら彼女に会えなかったんだよなあ」「で?」「もし彼女が支払いのとき10円玉をまた落としたら、さっと拾えるように、何度も練習したからね。どうぞ、っていう低音で云う云い方も練習したし、2時間」「ふーん、10円玉を落としてくれるといいね」「おッ、ありがとう。今日こそは会えそうな気がしているんだよね。」「……」 *タッチの差:間に合ったときには使わない。「いつもの電車に、タッチの差で間に合わなかった」などという。(2011-07-06)

(107)契機

Nくん、今日は絶好調である。いや厳密に言えば、昼食休憩後、元気がいいのである。TSさんは、どうせまた、くだらないことが外出中にあったんだろうと無視することにした。Nくん、誰かに話したくてしようがない。「いやあ、いい日だねえ」「雨が降っているけど」「たまには雨もいいよ」「きのうも、おとといも雨だったけど」「あしたは晴れるかもしれないじゃない」「天気予報は雨だって」「……」「あさっても」「……」、かわいそうになった優しいTSさん、「どうしたの? なにかいいことでもあったの?」「えッ、聞きたいの? いやあ、話すほどのことでもないけれど……」「じゃあ、いいよ、話さなくても」「えッ、まあ、どうしてもということなら、話すけれどね」「……」「実はね、さっき角のコンビニでデラックス弁当を買ったときにさ、デラックス弁当を買ったとき、580円のデラックス弁当を。ぼくの前で支払いをしていた人の10円玉が落っこちちゃってさ、ぼくがさっと拾ってあげたんだよね。そして、やや低い声で、どうぞ、って渡してあげたらさ。……。あのう、聞いてる?」「ウン、聞こえてる」「その人がさ」「女の人でしょ? きれいな」「わかる?」「わかる」「そのきれいな女の人がさ、ありがとうございます、ってさ、微笑んだんだよね、微笑んだの」「……」「これを契機として二人は……」「今週、ずっと雨だって」 *契機(けいき):広辞苑を引いてみよう。難しい説明が載っている。広辞苑が挙げている例文の「事件を契機に改善される」はまずまず。このことば、物事の変化や発展のもととなる本質的な要因や変化・発展の通過段階をいう。つまり、ある流れがあらかじめあって、その流れに変化が生じる場合に使うのである。よってNくんの「契機」は、ただの「きっかけ」ぐらいにとどめておくべきだろう。もちろん、この「きっかけ」も、その後何かに結びつくことはないのだから、最終的には誤用となる。 (2011-06-27)

(106)「くりかえす」ということ

日本語の言語表現で面白いものの一つに、相手の云った言葉を繰り返して、自分もその同じ言葉を遣って応えるというものがある。たとえば、こうである。昼食に大盛りの味噌ラーメンを二杯しか食べられない小食で才女のTSさんが青い顔をして外から戻ってきた。優しいNくんが訊く、「どうしたの?おなかがすいたの?」 TSさんがややむっとした顔で応える、「今、私のあとをずっとつけてくる変な男の人がいたの。コンビニでお買い物しているときも、ニヤニヤして私のことをじっと見ていたの」 Nくん、「へーッ、変なやつだなあ。TSさんに気があるのかなあ。気持ち悪いね」 ぼくも云う、「確かに、変な男だ」と。*解説がしづらいが、繰り返されたことで確認がなされる場合もあるが、繰り返されるたびに、その言葉の指し示す意味がずれていくこともあるのである。あるいは、わざと異なった意味で同じ言葉を用いるということも。いやはや、つまり、その、……。(2011-06-22)

(105)沢庵(たくあん)

日本出張の際どうしても食べておきたいものの一つは、茄子(なす)の浅漬けである。漬物はどのような種類のものも好きだが、ロンドンではうまい茄子の浅漬けには出会えない。デパートの食料品売り場で買い求めようとしても、日持ちがしないのでロンドンまで持ち帰ることが難しい。沢庵もいい。が、これもうまいものにめぐり合うのはなかなか難しい。ところで、この沢庵、その名の由来に諸説ある。「貯え漬け」の転であるというのもあるが、沢庵宗彭(そうほう)禅師が初めて漬けた故(ゆえ)というのがよく知られている。この沢庵和尚、漬物以外にはこれといった功績はなかったのかというと、いやいや大した和尚なのである。柳生新陰流の開祖・柳生宗厳(むねよし・石舟斎)の息子に柳生宗矩(むねのり)がいた。宗矩は三代将軍・家光の剣術指南役として有名だが、彼の剣術や武士道を極める上での師として、この沢庵がいたのである。彼の教えとは、「堪忍の二字、常に思うべし。百戦百勝するも、一忍に如かず」というものであった。宗矩を通して沢庵の思想が徳川を支えることになる。この「戦わない」という教えが、徳川の長き安泰の世を支えたのである。 ここまで話したところで、ずっと気になっていたポリポリという音が止んだ。「なるほど、そうだったンスか」とN君、ロンドンに持って帰ろうと思って買っておいたぼくの沢庵をほとんどたいらげてしまっていた。(2011-06-14)

(104)みたいな

一昨日の夕刻、日本から戻った。滞日中もっとも耳障りだった言葉は、「……みたいな」という言葉遣いである。テレビの街頭インタビューに答える数多くの老若男女が云うのである。「こんな政府は許せない、みたいな……」(スーツを着てネクタイを締め、一応まじめな顔をして憤っているようなのだが)、「AKB48の中では、なんといっても○○が一番かわいいしー、みたいな……」(AKB48自体がよくわからないのだ、ぼくには)、「親父みたいなジンセー送りたくないしー、みたいな……」(一つ目は正しいが、こんな言葉遣いをする愚か者が人生を語るな)などと。この者どもは何なんだ。自分の肺で呼吸をし、自分の心臓で血液を送り出しているのか。自信のなさ、曖昧さ、責任逃れ、ごまかし、そういった思いが一本ずつ額の血管を浮き立たせて、あわててぼくは血圧の薬を飲み込む。脇でN君(久しぶりの登場である)、「センセーみたく、いちいち気にしていたら、やっぱ、日本、住めませんよーォ」と温かい助言をしてくれる。ウン、そうだね、ぼく、とっととロンドンに帰るよ。*「みたいな」は助動詞「みたいだ」の連体形。①性質や状態が他の何かと似ていることを表す。「まるで子どもみたいなことを言っちゃあ、だめだよ」②例示して強調する意を表す。「君みたいな者にこの絵のよさがわかってたまるか」③不確かなまま遠まわしに断定する意を表す。……ようだ。「昨夜は雨が降ったみたいだね」(参考:日本国語大辞典.例文:筆者) **この③の乱れた用法が彼らの言葉遣いだろう。***「みたく」は、「みたい」を形容詞のように取り扱ったものだが、これもまた耳障りである。(2011-06-07)

(103)ぼさぼさ髪

研究所のあるCharltonの隣駅はWestcombである。BlackheathやGreenwich公園につながるなかなか趣のあるところである。どうしてこのような名前がついたのかは、きちんと調べればわかるのだろうが、髪を櫛で梳(す)いたような地形であるとか、波のうねりのような丘の様子とかが元になっているのだろう。その髪のことである。効果のない養毛剤を毎朝、気休めのために振り掛けているぼくとしてはあまり触れたくない話題であるが、かつてはぼくも、目覚めると「ぼさぼさ髪」になるほどだったのだ。肩までの長髪を誇ったのだ。それが、……。いや、そんなことはどうでもよい。絶対にどうでもよいのだ。問題は、この「ぼさぼさ髪」の「ぼさぼさ」である。「ぼさ」が「雑草などの茂み。やぶ」(日本国語大辞典)の意であるから、要するに整えられていない状態である。櫛などで梳かれていないのだから、英語で言えばuncombedとなろう。さらに乱れているのだからmessyともいえる。その両方を重ねて、つまり、uncombed and messy hairというのが「ぼさぼさ髪」というものである。こんなことをいちいち考えていると、聞こえるはずのない音が聞こえてくるのだ。ハラリとか、ハラリハラリとか、櫛を必要としない、messyにはなれない頭から、残り少ない髪の毛の落ちる怖ろしい音が。

(2011-05-11)

いやはや、大変な失態である。この原稿を担当者に渡した帰り、何気なく車窓から駅のプラットホームを見ると、駅名は [Westcomb Park] ではなく [Westcombe Park] と書かれている。かってに [comb] と思い込んで想像を楽しんでいたのだが、[combe] と [e] が付いていた。であればまったく意味が違ってくる。[combe] というのはいわゆるイギリス英語の表記で、米語では [coomb] と表す、「山腹の谷あい」の意である。よって、その地形をそのまま表したに他ならない。かの「日本の呑兵衛」先生からまたしてもお叱りのメールが来るかな、最近、酒が足りないのではないかと。(2011-05-13)

(102)孫の手

この春、ロンドンは快晴が続く。暖かく、道行く人の表情も柔らかい。そのためか空気が乾燥しており、自然発火の山火事が報じられてもいる。ぼくの皮膚も乾燥して、背中が痒い。かつては手を伸ばして自分の背中を掻くのに困らなかったぼくだったが、うーん、とどかない。本棚の角に背中をこすり付けていると、通りがかった学生の一人が訊く、「先生、どうしたんですか、何かのおまじないか何かですか」と。まさか学生に背中を掻いてくれと頼むわけにもいかず、こんなとき「孫の手」があればと思うのだった。この「孫の手」であるが、あの棒のことをよく「孫の手」などと名付けたものだと感心する。かわいい孫に背中を掻いてもらうというのは、年老いた者の幸せな風景のうちでも飛び切りのものだろう。ところで、この「孫の手」、これは実は「孫」とはまったく関係のない、ただの当て字なのである。中国の伝説に出てくる仙女・麻姑(まこ)の爪が鳥の爪のように長く、痒いところを掻くには適しているだろうという話から生まれた言葉である。とはいえ、女の爪よりもぼくは、かわいい幼子に小遣いをねだられながらも掻いてもらう、そのほうがいいなあ。安全でもあるし。(2011-05-05)

(101)系・再考/原田先生登場

「日本語を歩く(99)」について、日本のある大学の先生から下記のようなありがたいお便りが届いた。なんと、今の日本には「ビールのような飲み物」がいろいろあり、N君が云った「最初はビール系で?」という言葉遣いはあながち間違いとはいえないというご指摘である。今年で、英国暮らし25年目にはいったぼくは、気付かぬうちに浦島太郎になっているようである。それにしてもこの自称「日本の呑兵衛」先生、日本の酒税に関する日頃の鬱憤を見事、この小さなコラムでまとめられた。N君がいわゆるビールそのものを「ビール系」で表したであろうことはちゃんと見抜いた上での、なかなかしゃれた筆力で、会ってみたいなあと魅せられた。でも相当な左利きのようであり、とっくの昔に肝の臓を酷使しつくしたぼくには少し怖いような……。(2011-04-28)

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日本語を歩く(99)に寄せて

日頃は常に正しい図師照幸氏だが、今回は聊か的外れで殘念な氣がした。図師氏同樣、小生も「〇〇系」なる言ひ回しは好まない。然れども氏の教へ子N君の「最初はビール系で?」なる掛け聲は、強ち間違ひとは言ひ難い。図師氏は日本國をば離れ早幾年なる境遇であるから御氣附きで無いのは至極當然である。僭越ながら今回は小生がこツそりと傳授致すとしやう。日本國は英國などに比して奇妙奇天烈な酒税で以て酒造株式會社や酒呑み庶民を悩まし續けてゐる。分けても麥芽含有率25%以上の品名「ビール」に對する酒税は殆ど懲罰的の憾みすら殘る。それでゐて蒸留酒である各種焼酎(米、大麥、蕎麥、黑糖等)の酒税は異樣な迄に低く抑へられてゐる。1980年代には「日本の焼酎業者ズルいぞ」と許(ばかり)に蘇格蘭のウヰスキー生産者が歐洲共同體(現在の歐洲聯合)に陳情し、彼らの外壓が功を奏して現在に至ツてゐる。或いは功を奏し過ぎて、今では日本國で入手せる蘇格蘭産ウヰスキーは英國より安價なる珍事に言及す可きか。おツと、話がやや横道に逸れたが、日本の麥酒製造業者も負けてはゐなかツた。涙ぐましい程の努力を重ねビール系アルコール飲料たる「發泡酒」を世に問うたのだ。廿世紀末の事である。麥芽含有率25%未満でありながらビールの樣な見た目と味を堪能できるとあツて是が賣れに賣れた。然れども國税當局は「發泡酒」にも髙率の酒税を掛けてやらうかと虎視眈々と状況を見据ゑることにした。戰々恐々とした麥酒製造業者は今度は大麥の焼酎を炭酸で割る要領で「第3のビール」を開發した。廿一世紀初頭の事である。税法上は「リキュール類」に分類されるが、味覺音痴な人には酒税の髙いビールと變はらぬ味がすると評判である。したがツてN君の云ふ「ビール系」とは、本物のビールのみならず、税法上「發泡酒」であるビールもどきと、税法上「リキュール類」に分類される所謂「第3のビール」(是亦ビールもどき)を含むアルコール飲料(正邪混淆)を指すのである。

【日本の呑兵衛 原田俊明】