(319)幸運にも難を逃れる

下やんはかつて犬を飼っていた。「かつて」 とは、その犬が死んでしまったからだ。弱ってきた犬を下やんは必死に看病した。いっしょに食事をとり、添い寝をした。だから、とうとう最期を迎えたときは、恋人を失った青年のように何日も泣き通した。犬のように夜空に向かって遠吠えもした。その犬が元気な頃は、はしご酒の後、夜遅く帰宅した下やん、空いた小腹をみたすために、犬の残してくれていた晩御飯を分けてもらったりもした仲である。つまり下やんは犬派であるが、日本一の保育園「ともそだち」の園長先生、大くんは奥さんともども猫派。N くんはその場にいる美人の女性が犬派であれば犬派、猫派であれば猫派に変わる、極めてフレキシブルな男である。こういった事情から、オフィスでは犬や猫の話はできるだけ避けることにしているのだが、大くんの愛妻が突然、オフィスを訪ねてきた。手作りのクッキーを持ってきてくれたのである。N くんが紅茶をいれ、いっしょにクッキーを食べることになった。食べながら、奥様、いかに猫が可愛いかを話し始めた。少しまずいと思った N くん、「猫も可愛いけど、犬も可愛いですよね」 とその場を収めようとする。けれども奥様、「いいえッ、何といっても猫ですよ。犬なんて野蛮じゃないですかッ」 とのたまった。音が聞こえる。下やんの紅茶のカップが震えている。そこへ電話がかかる。「下川さん、田中さんという方から電話です」 と N くんがつなぐ。下やんお気に入りのスナックのママさんからである。幸運にも難を逃れたのだった。*猫の話で思い出すのだが、英語に to fall on one’s feet というイディオムがある。高校生の頃、英語の時間に習った。「幸運にも難を逃れる」といった意味だが、英語の先生の説明によると、「猫は高いところから落とされても、うまい具合に身をひるがえして着地する」動作に由来しているそうだ。(2024.5.22)

(318)しかし、暑いねえ。

去年の夏は暑かった。体ごと蒸発してしまうのではないかとさえ思った。日本に比べ、先生のいるロンドンは快適な夏だったようだ。今年ももう 5 月である。なぜか夏日や真夏日が襲っている。今日も居酒屋に陣取る三人組、すり減った短足で人生の年輪を感じさせる下やん、外ではいろいろ目移りしないわけではないが、家庭では何よりも妻と息子を愛しているということにしている N くん、短い脚では下やんにひけを取らない、日本一の保育園「ともそだち」の園長先生の大くん、とりあえずのビールで乾杯したところである。「しかし、暑いですねえ」 と口火を切る大くん。「うん、これじゃ、今年の夏が思いやられるねえ」 と N くん。「おいッ、大よ。〈しかし、暑いですねえ〉ってなんだよ。〈しかし〉の使い方、おかしくねえか」と下やんが突っ込む。「え、おかしいですか」 と大くん、不意を突かれた格好である。「そうか、考えてみると、おかしいといえばおかしいよね」 と N くんが受けとり、「〈下川さんの胴は長い、しかし脚は短い〉とか、〈下川さんのお腹は大きい、しかし肝っ玉は小さい〉とか、こういう使い方はいいんですけど、ね、下川さん?」 と続ける。「......」「そうか、〈下川さんはぼくたちの2倍か3倍は飲み食いする、しかし支払は割り勘〉とかだったらいいけれど、いきなり 〈しかし〉 で始めるのはおかしいってことですか、下川さん?」と大くんが訊ねる。「......」「じゃ、この〈しかし〉 って、どういう意味があるのかなあ」 と N くんが考え始める。
*突然、文頭にあらわれる〈しかし〉= 逆接の接続詞「しかし」であるが、ここでも本来の働きをなくしているわけではあるまい。〈しかし〉の前にはおそらく、〈こんなに暑いのにだれも話題にしないのはおかしくないか〉 という軽い前提が(ほとんど無意識に)ある。それを打ち崩して(否定して)、新たな話題に持ち込もうとすることばが、この 〈しかし〉 なのである。(2024.5.21)

(317)あんパンに牛乳

いつも愛妻弁当をみんなに見せびらかせながら食べるNくん、今日はなぜか様子がおかしい。こういったことに敏感な下やん、「おッ、愛妻弁当のN様よ、本日はあんパンを召し上がっておられるようですが、奥様はあんパンもお作りになられるのですか、木村屋の袋に入れて?」 「……」 「それに、コーラですか。いつもの水筒に入った温かい飲み物ではなくて? へッ、へッ」 「……」 「たまにはいいじゃないですか」とまたしても大くんの登場である。日本一の保育園「ともそだち」の園長である大くんは多忙の合間を縫って頻繁に現れる。「でも、どうしたの、Nくん。奥さん、病気?」 「あ、いや、ちょっと実家に帰ってて」 と元気のないNくんである。 「あッ、そうか、そうか、いよいよか」 と下やん、すこぶるうれしそうである。「な、なんですか、下川さん。ぼくの美しい奥さんは、義母さんのお世話をしに帰っただけですよ」 「それにしては元気がないじゃないか」 「そりゃあ、あの誰よりも美しい奥さんがいないと寂しいに決まっているじゃありませんか」 「……」 「それで今日はパンですか」 と大くん。「うん。たまにはいいよね、あんパンとコーラ」 とNくん。「おい、まてよ。あんパンときたら牛乳だろッ?」 やっぱり、話題がずれた。「いいじゃないですか、あんパンとコーラだって」 とNくん。「何いってんだよ、〈あんパンに牛乳〉というのは、紫式部の時代から決まってんだよ」 NHKの大河ドラマに影響を受けている下やんである。「紫式部の時代にあんパンなんかあったんですか」 と大くんが突っ込む。「あんパンは明治のはじめに銀座の木村屋が創ったんでしょ」 と博学のNくん。「いいんだよ、そういうのは。とにかく、〈あんパンに牛乳〉なんだよ」 「でも、確かに〈あんパンと牛乳〉はいいよね」と大くん。「何いってんだよッ、〈あんパンに牛乳〉というんだよッ」 「ですから、〈あんパンと牛乳〉でしょ?」 「わからないやつだなあ、 〈と〉 じゃなくて 〈に〉 なんだよッ」とっくにランチ・タイムは終わっているのだが、この3人の論争は続いている。
*A 〈あんパンと牛乳〉、B 〈あんパンや牛乳〉、C 〈あんパンに牛乳〉 には違いがある。Aはこの二つについて述べており、要素となるものはこの二つ。Bはいくつかのたくさんある要素の中からこの二つを取り上げて述べている。Cはこの二つの要素がセット(組み合わせ)になっているという意味である。(2024.5.11)

(316)普通にうまい

午後7時、今日も居酒屋に陣取る3人組、話題は大阪万博である。「70年の大阪万博は盛り上がったんだけどね、来年の万博はも一つだな」 と下やん。「でも、空飛ぶ自動車が飛ぶんでしょ?」 と日本一の保育園の園長の大くんが訊く。「大くん、それがね、どうやら自動車じゃないようだよ」 と博学(と本人だけが云っている)のNくんがいう。「えッ、大阪の市長さんがたびたび胸を張って、万博会場を飛び回るんだっていってましたよ」「大よ、大阪じゃな、イソジンでコロナを治したり、雨合羽で防いだりはできるようだけどな、そう簡単には車は空を飛ばないぜ。第一、道路を走れないものを車っていうの?」「えッ、走れないんですか?」 「外国ではすでに、翼が車に収納される空飛ぶ車が開発されているようだけれどね」 と博学のNくん。焼き鳥が運ばれてくる。それまでの話題は、いともたやすく消えていく。すばやく串の数を数えたNくん、「あ、」と思わず声をあげる。Nくんの心を読んだ下やんがいう、「心配するな、Nよ。10は3では割り切れないと思ってるんだろうが、オレが1本余計に食べてやるからよ。けど、会計はきちんと3で割ろうな」 早速手を伸ばして口に運んだ大くんにNくんが訊く、「どう、うまい?」「ウン、普通にうまい」「じゃ、ぼくも」 「おい、おい、待てよ、労働者諸君!」 と下やん、「普通にうまいって、なんだよ? あんまりうまくねえのかよ?」 「は? うまいですよ。なんか変ですか」 ▶普通にうまい:最近よく耳にするこのいい方、ぼくも何をいっているのか、よくわからない。芥川賞作家の平野啓一郎は 「この表現がおかしいと感じたり、意味が分からないとする方がおかしい」 という。「一般のだれもが 『おいしい』 と同意するであろうような味の食べ物(あるいはその水準に達している食べ物)を食したときに、現代人は『普通においしい』と言うわけです」 と彼のブログで書く(原文のまま)。そうかぼくは 「現代人」 ではなくなっているのかと少々落胆しながら、「まてよ」とも思うのだ。平野の「その水準に達している食べ物」ってことは、従来の「普通」という意味と同じじゃないか。「うまくもまずくもない」 という意味じゃないか。けれども、平野のいう「現代人」が使っているこのことばの意味は、「けっこううまい」 とか 「かなりうまい」 といった響きを持っているのだ。高評価なのだ。もともと 「普通」 といった言葉には、「並」(「新明解国語辞典」)の意味もあり、「上」 でも 「特上」 でもないといったややマイナスの響きさえある。「あの人は普通の人」 という表現は、あまり誉め言葉とはいえまい。だからぼくは、 「現代人」 ではなくったっていいから、このいい方を認めない。(2024.5.6)

(315)あっという間に

コロナ以来のんびりしていたら、「あッという間に時が過ぎた」と下やんがつぶやく。カップ麺を食べ終えたところだ。すかさずNくんが云う、「瞬く間に時が過ぎた、というほうが上品ですよ。ロンドンの先生が云ってました」「ン? カップ麺を食べ終えたところで、その上品とやらが似合うか? おかしいだろッ? こういう似合うか、似合わないかというのをだな、〈共起性〉っていうんだよ」 「ええッ、下川さん、そんな難しい言葉をどこでちょろまかし、いや、覚えたんですか?」 そこへ、またしても遊びに来ていた日本一の保育園の園長の大くんが口をはさむ。「なんだか下川さんが云うと、〈共起性〉という言葉の意味が違うような気がするなあ」 Nくんが畳みかける。「チミたち、いや君たち、小生を何と心得る、このオレ様はなあ、かのカイロ大学を…」「えッ、あのカイロ大学を首席で…」「ほんとですか、下川さ?」「バ、バカこくな! そんなことは云ってないだろッ。まあ、記憶がはっきりしないがな。とにかく、オレ様をバカにするとあの凶暴なツバサくんが飛んでくるぞ!」 何とも云っていることが支離滅裂である。「オレたちが共起するのはだな、あのトリアエズとツマミだな」「居酒屋ってことですよね」 ▶共起性:下やんが云う「似合うか、似合わないか」 という云い方は必ずしも的外れではない。広辞苑は,〈共起〉について、「二つの別の語が一つの文や句の内部で同時に用いられる現象」と説明し、〈共起制限〉について、「一つの文や句の内部で、ある語とともに用いられる別の語の選択に制限がある現象」と説明する。具体的な例としては、動詞「書く」の目的語となる名詞は「字」「手紙」などに限定される、としている。最近見かける「飲むヨーグルト」「食べるラー油」というのは、共起制限を超えて消費者の注意を引こうとするものである。(2024.4.30)

(314)えこひいき

日本一の保育園「ともそだち」の園長先生である大くんが浮かぬ顔をして現れた。「どうしたの、大くん?」 優しいNくんが訊ねる。「ウーン、まいっちゃって」「ついに、奥さんが実家に帰ったか?」 楽しそうな下やんである。「いやあ、ぼくの美しくてかわいい奥さんはぼくとちょっとでも離れていると寂しがるので、下川さんのところのようなことはないんですが」「あ、ぼくんとこもそう、下川さんのところと違って」「な、にッ、」「実は保育園の園児のことなんですが、ある母親が、うちの先生がAちゃんのことをえこひいきしていると云ってきましてね。うちの先生はみんなすばらしくて、絶対にそんなことはないはずなんですが、……」「で、具体的にどうだっていうの?」 Nくんである。「うん、以前、数週間前だったかなあ、Aちゃんのお母さんがね、Bくんがえこひいきされていると云ってきたんだけどね。その時もそんなことはなかったんだけど。で、今日はCくんのお母さんが、Aちゃんのことを云ってきたんだけど、……」「おい、おい、なんだかややこしい話だな、お前んとこは」「で、何がえこひいきだって云ってるの?」「実は折り紙の色のことでね、数週間前の時は先生がBくんにAちゃんの好きな赤色の折り紙をやって、残念なことにその時、赤い折り紙は一枚しかなかったんだね。今日はAちゃんに青い折り紙を配ったらCくんがその青色が欲しかったらしくて」「ふーん、大変だな、保育園も」「いっそのこと、全部同じ色にしろよ、真っ黒に統一するとかさ」「そんなことしたら、情操教育上問題があるなどと批判されてしまいますよ」「そうか。ここはゆっくり飲んで考えるしかなさそうだな」 またしても、居酒屋へ足を向ける三人だった。ただ、居酒屋の酒類提供は禁止されているのだったが。 *えこひいき(依怙贔屓)=[依怙]:漢語。①頼ること。頼むこと。②一方にかたよってひいきすること。[贔屓]:漢語。①大いに力を入れること。自分の気に入った者に特に力添えをすること。(日本国語大辞典参照) 同じ意味の言葉が重ねられた語である。(2021.8.1)

(313)血税

オリンピックの開催に反対していたNくん、開会式やいくつかの試合を見ながら、感動した。それがNくんのいいところである。素直なのだ。悲しい時は泣き、嬉しい時は喜ぶ。自分の感情を少しばかりの理屈でねじ曲げたりはしない。この日まで必死で頑張ったアスリートの姿に、目頭を熱くするのだ。下やんも大くんもそうだった。あの理屈っぽいロンドンの先生もそうであるのを、三人は幾度となく目撃している。「だけどな、オレたちのさ、そういった単純に感動する気持ちをさ、政治や選挙に利用してもらいたくないよな」 下やんである。「ええ、日本国民はバカだから、オリンピックが始まれば、いろいろな不祥事や問題なんかすぐ忘れるさ、って言っている学者や評論家、有名人がいるけど、冗談じゃないですよね」 大くんである。「ウン、こういう評論をする人たちって、気持ち悪いよね。自分は何でも分かっているんだよって、にやにやしながら言うんだよね、テレビのワイドショーか何かで」とNくん。そうなのだ、なんだかおかしい。気持ちの悪い者たちが汚い言葉を吐きながら、跋扈(ばっこ)している。「感動するオレたちは、確かについ、いろいろな嫌なことを忘れてしまったりもする。でも、それっていけないことか?」 下やん、まじめな顔で訊ねる。「悪いことや問題は、たとえ国民が忘れかけてもその責任者たちが真摯に反省し、自ら正そうとしなければいけないんですよね」 Nくんも力を入れる。「オリンピックだって、大変な額の血税を使ってやっているんだしね。いろいろな災害で苦しんでいる人たちや、飲食店の人たちに、その3兆円というお金を使えば、死ななくったっていい人がたくさんいる、救われるんだものね」 大くんは顔を紅潮させている。「だからさ、今日の仕事はこのくらいにして、一杯やるか」 下やんの誘いにもちろん、二人とも快諾したのであった。*血税=「人たるもの、固より心力を尽し、国に報ぜざるべからず。西人之を称して血税といふ。」1872年の明治政府の徴兵令制定の詔の言葉である。つまり、「兵役の義務」の意であった。のちに、「血の出るような苦労をして納める税」(日本国語大辞典)の意味として使われるようになる。 (2021.7.24)

(312)美酒

ロンドンの先生は、友人や教え子たちと酌み交わす酒が好きだ。むろん、スタッフとの酒もとても楽しそうだ。先生が日本にもどったその夜にいつも、Nくんは他のスタッフたちと一緒に先生を囲んで酒を飲んだ。長時間のフライトで疲れているはずの先生はけれども、Nくんたちの顔を見ながら、たまらなく嬉しそうに酒を飲んだ。まずはビールを2杯も3杯も瞬く間に飲み干し、次いで日本酒を冷酒でたっぷりと飲むと、焼酎のオン・ザ・ロックへと進むのだ。教育について、人間について、愛について、どの話題についても先生は、面白おかしく、けれども深く、あたたかく語った。悪口や、ひがみや、妬みなどということばの存在が周りから消え失せたような空間だった。下川さんや大くん、大学教授たち、いろいろな人たちと一緒に、まるで家族のように、いや特別のつながりを持ちながら気が付くといつも、夜が深くなっていた。「おい、先生、元気かな」と下やんが日本酒を飲みながらふと、つぶやく。「もちろんですよ」と大くんが驚いたように応える。「当たり前でしょ」とNくんがサキイカをくちゃくちゃ噛みながらムキになる。コロナのせいで、先生は日本に飛んで来ることができない。「また、先生の面白くないジョークをがまんして聞いてやりたいなあ」と下やん。「でも、下川さんのジョークも負けずに面白くないですよ」と大くん、ハイボールなるものをお替りしている。「バカだなあ、大くん。面白いジョークなんて、面白くなんかないよ。面白くないから面白いんじゃないか」とNくん、よくわからないことを言うのである。「おいしいお酒が飲みたいなあ」と先生は時に、口にした。Nくんは時々思い出すのだ。(おいしい酒って、いいお酒ってことかなあ、美酒ってことかなあ)と考える。その意味が気になることがあるのだ。 *美酒(びしゅ)=「味のよい酒。うまざけ」(広辞苑)。このことばを「うまざけ」と読むこともできるだろう。多くは「旨酒・味酒」と当てるが、ただのうまい酒といった意味でなく、その時間や空間も一緒に味わう酒は、「美酒」と書くのがいいだろう。(2021.7.17)

(311)耳に針を刺す

首相の記者会見をテレビで見ていたNくん、外国人記者の質問を聞いて、(おッ、日本人記者とは違ってなかなか急所を突いたいい質問だな)と感心する。勤務日の夕刻である。のんびりとしたもんだ。首相の回答を聞いて、(ん? 質問の意味が解らなかったのかな)とNくん、混乱する。 「どうしたんだあ、N?」と下やんが訊ねる。「いや、この記者会見なんですが、会見始めの質問に対しては、首相は用意した原稿を読むのでよどみはないんですが、フリーの質問になると、回答がかみ合っていないようなんですよね。質問しているのはそのことじゃないって、質問した記者が言おうとすると司会者が一人一問ですと言わせないようにするんです」「へへッ、Nも鋭いじゃないか」「さすがですね、Nくん。いやぼくも当然、そのことには気づいていたんですがね」 大くんである。「耳が痛い質問には答えたくないんじゃねえか」と下やん。「でも記者会見って、国民が知りたいこと、訊きたいことを記者が代わって訊いているようなもんでしょ。なのにきちんと答えないってことは、国民に答えたくない、説明したくないってことになるんじゃないんですか」「そうですよね、Nくん。ぼくも当然、そう思っていたんですがね」と大くん。「ところで下川さん、さきほどの〈耳が痛い〉って言葉ですが……」 例のごとく、話がそれていく。「広辞苑によると、他人の言が自分の弱点をついていて、聞くことがつらい、という意味のようですが、では、この外国人記者がした質問はどんな言葉で表現したらいいんですかね」「おまえなあ、いつからロンドンの先生のようにこまめに辞書を引くようになったんだよ。そんな暇があったら、水虫の治療でもしろよ」「そうですよね、Nくん。ぼくも当然、どう表現するのかなあと思っていたんですよ」「で、大よ、どう言うんだよ」「いや、それは、下川さん、下川さんから言ってもらわなくちゃあ」「〈耳が痛い〉ようにするんですから、耳をたたく、とか、耳を蹴る、とかでしょうか」「そうですね、Nくん。ぼくも当然、そんなところかなって思っていたんですが」「お、お、おまえら、大丈夫か? 耳を蹴るってなんだよ、それ。それは、耳をいじめる、って言うんじゃねえか」「そうですよね、し、しも、……」 *〈耳が痛い〉ことを言うことを、〈耳に針を刺す(立てる)〉という。(日本国語大辞典)(2021.7.9)

(310)わたる

英国はウインブルドンの季節である。今回、 大坂なおみが出場していないのがさみしい。下やん、Nくん、大くんの三人とも彼女を応援していたので、肩を落としている。スポーツは基本的にその競技をする者(最近はアスリートなる言葉が出回っている)のもので、国を背負わせては酷というものだが、ついつい「日の丸」を応援してしまうようだ。前回の東京オリンピック(1964)では、マラソンで銅メダルをとった円谷幸吉選手が、おそらくその重圧から、メキシコオリンピックを目前にした年明け間もない1月9日に、「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」の遺書を残して自殺した。27歳だった。迫る今年の東京オリンピックに、応援する者たちの気づかぬ、選手たちの悲劇が生まれないことを祈りたいとポツリ、下やんが漏らした。三人の中で、下やんだけが前の東京オリンピックを見ていた。Nくんと大くんがうなづく。「ところで、だ」と下やん。「テニスの話なんだがな」 話題が急変するのが下やんの得意技で、それにこだわりなくついていくのが他の二人の素晴らしさである。「あのコートをボールを拾って走り回る少年や少女たち、大変だろうなあ」「そうですねえ、試合によっては大変な長時間ですからねえ」「いったい何回ぐらい、コートをわたって走るんですかねえ」と大くん。「ん?」とNくん。「〈わたる〉って、おかしな言い方だよ」「えッ、そうですか。横断歩道をわたる、川をわたるって、言うじゃないですか。コートをわたる、でいいんじゃあ」「いや、ここは、Nの言うのが正しい」と下やん。「どうしてですか、下川さん?」「えッ、まあ、なんだな、……。Nよ、教えてやれ」「あ、はい。たぶんね、大くん。横断歩道や川とコートとでは、違うんだよ。ねえ、下川さん」「どう違うんですか、下川さん?」「なにッ、……。Nよ、最後まできちんと教えてやれよ」「はあ。えーと、こ、広辞苑にはね、えーと、〈別のところへ移る。ある場所を通り過ぎる〉と書いてあるから、まあ、〈わたる〉でもいいか」「じゃあ、〈わたる〉でもいいんですね、下川さん?」「そうだよ。だからオレは最初から、いいんじゃないか、と思っていたんだよ」「でも、なんか、おかしいような、……」 Nくんが首をかしげる。*〈コートをわたる〉はおかしく、〈コートを横切る〉がいいだろう。〈わたる〉は横断歩道や川のように、こちらと向こう(歩道や岸)を隔てるもの(車道や川)を越えていく場合に用い、他のもので隔てられていないコートを移動する場合には使わない。(2021.7.4)

(309)匂い

初夏の雨の止んだ午後である。昼ご飯を食べた後で、眠気が下やん、Nくん、大くんの三人を襲っている。日本一の保育園「ともそだち」の園長がなぜ、この時間にのんびりここで時間をつぶしているのかが不思議ではある。下やんは鼻毛を抜きながら、スポーツ紙を読んでいる。Nくんは昨夜カミさんと一戦を交えた後の頬の爪痕を撫でてはため息をついている。大くんはちょっと難しい折り紙の折り方に挑戦している。平和である。たまらなく平和である。「ポアー」、その静寂を破って、不謹慎な音が響いた。「ん?」と下やんがつぶやく。しばらくすると、しっかりとした匂いが三人の嗅覚を刺激する。「ウーン」とふたたび下やん。「だれですかあ」とNくん。「ぼくじゃないよ」と大くん。「ウーン」 とまたもや、下やん。二人が下やんを見る。「ま、そういうことだ。ハ、ハ」と下やん。「それにしても、今日の匂いはやや強烈だな。いつもはパヒュームといってもよいほどの素晴らしさなんだがなあ。さっき食べたニンニクが効いたかな」「勘弁してくださいよ、下川さーん」と二人が声をそろえる。「ところでだ、諸君。この匂いという言葉だがな。本来は色あいや、色つやを意味していたということを諸君は知っているかな?」「えッ、そうなんですか。ロンドンの先生がそう言っていたんですか」「ん? なんでわかるんだよ」「そりゃ、まあ、当然といえば、当然で。あり得るか、あり得ないか、ということで」「なにをぐちゃぐちゃ言っているんだよ、諸君は。ポアー」「下川さん‼」 *「…古くは、もみじや花など、赤を基調とする色あいについていった。…中世には鮮やかな色あいよりもほのぼのとした明るさを表わすようになった」「人の内部から発散してくる生き生きとした美しさ、あふれるような美しさ。優しさ、美的なセンスなど、内部的なもののあらわれにもいう」「ただよい出て嗅覚を刺激する気。香り、くさみなど。悪いにおいについて〈臭〉とも書く」 いずれも、日本国語大辞典より。(2021.6.25)

(308)羨ましい

下やん、Nくん、大くんの三人に共通する美徳は、他人を羨ましがったり、逆に妬ましく思ったりはしないということだ。つまり、実にさわやかで、シンプルな感性の持ち主なのだ。これはすばらしいことなのである。人はついつい、他人の喜びや幸せを羨ましがったり、妬んだりするもので、病んでくると、他人の幸せが許せず、壊したくなる輩さえいる。こうなるともはや、まさに病気である。その点、この三人には全くそのような醜さを感じない。「羨ましいという言葉をしょっちゅう遣うご婦人が近所にいるんだけれどね、Nよ、あれはなんなんだ?」と下やん。「どんなことに遣うんですか、その人?」「ん? たとえば、〇〇さんの奥さんがシャネルのバックをご主人から買ってもらったときとか」「ああ、レストランに行ったときに、海老のてんぷらの大きさが隣の人のより小さかったときとか、ですね」「こういうときもあるかもしれませんね。満員の地下鉄で隣に立った男の脚がずいぶん自分のものよりも長かったときとか」 大くんが話に加わる。「お、おまえら、なんか、話がちっちぇーなあ」 下やんが呆れる。「でも下川さん、他人のことを羨ましがったり、妬んだりすることって、どれもこれも、みっともないほどみみっちいんじゃないんですか」 Nくんが名言を吐く。たしかに、「うらやむ」の「うら」とは、「心」という意味で、「やむ」とは「病む」である。できるかぎり、このような病気にはかかりたくないものである。(2021.6.18)

(307)雑草とハーブ

日本一の保育園「ともそだち」の園長である大くんが青い顔をして現れた。「おッ、またやったか、大よ。カミさんに怒られたか?」 下やんはうれしそうである。あの寅さん(男はつらいよ)が隣の印刷工場のタコ社長の困った顔を見ると心躍らせるさまにそっくりだ。「どうしたの、大くん?」 Nくんが笑いをかみ殺しながら心配そうな顔で訊く。「いや、あ、あのう、こ、これをしばらく預かってもらえませんか」 大きな紙袋から取り出したのは鉢植えの草である。下やんの顔つきが一変する。「お、おいッ、これは、あれじゃないのかッ。なんだ、その、おいッ、Nッ、なんだッ」「タ、タ、タイマ、ですか」「そ、その大麻じゃないのか」「ち、ちがいますよ、ハーブ、普通のハーブですよ、安全な」「なんだ、そのハーブって?」「薬草ですよ、二日酔いに効く」「どうして、そんなものを預からなくちゃならないんだよ、ここで」「カミさんが、そんな雑草は汚いから捨ててきなさいって言うんですよ」「なるほど、もっともだ」「二日酔いに効く薬草だったら捨てなくったっていいじゃないですか」とNくん。「ぼくもそう言ったんですが、汚いから、そんな雑草、下川さんかNくんにあげなさいよって」「……」「ところで、雑草とハーブとどこが違うんだ?」と気持ちを取り直した下やんが訊く。「役に立つのがハーブで、立たないのが雑草じゃないかなあ」とNくん。「じゃ、おまえのカミさん、汚くて役に立たない雑草だから、オレたちに押し付けて来いっていうのか」「そうなんですよ、ぼくの美しくてかわいいカミさんが」「……」 *日本国語大辞典によれば、ハーブは「風味用植物。香草。また、薬草」であり、雑草は「自然に生えたいろいろな草。また、耕作したり栽培したりする草以外のいろいろな草」ということのようだ。もっとも、今ハーブと気取った名前で呼ばれているものだって、雑草として生えていたものがちょっとしたことで見いだされてハーブと呼ばれるようになったものもあるだろうに。ところでこの三人は、どちらかといえばどっちかなあ。(2021.6.16)

(306)こんにちは

Nくんが首をかしげている。「おいッ、Nよ、さっきからどうかしたのか。そろそろ水虫が顔を出したか?」と下やん。「ぼ、ぼくの水虫は元はと言えば、下川さんからうつされたんですよ、ほんとにもう。水虫なんかじゃ、ありませんよ」「えッ、Nくんも下川さんからうつされたの、ぼくもそうなんだよ、困っちゃうなあ」と大くん。短足トリオは水虫トリオでもあったようだ。 「おまえら、そんなどうでもいいことにこだわると、大きくなれないぞ、人間が。で、なんだよ、N」「いやあ、〈おはよう〉ということばについては、先生から説明してもらって分かったんですが、〈こんにちは〉って、何だろうなって、……」「ん? そんなどうでもいいことを考えてたのか。おまえもロンドンの先生のウイルスにおかされてきたようだな、英国株だ。簡単だろッ、昼の挨拶じゃないか」「いや、下川さん。Nくんだってお昼の挨拶だってことは多分、わかってますよ。そうじゃなくって、〈こんにちは〉はもともとどういう意味なのかなってことだと思いますよ」と優しい大くんが助け舟を出す。「さっき、広辞苑で調べてみたんですけどね、〈今日は…と続けた挨拶語の下略されたもの。昼間、他家を訪問したとき、また、人と会ったときなどにいう簡単な挨拶語〉としか書いてないんです」「おまえ、ますます英国株だな。広辞苑がどうのこうのと……」「〈今日は…〉といった後に何が続くかってことですよね、Nくん?」「ウン、なんだろうなあ、〈今日は何曜日ですか〉じゃないだろうし、〈今日は何をおごってくれますか〉でもないだろうし、……」「〈今日はまともか〉じゃないか? あるいは〈今日は首相、質問にちゃんと答えられたか〉〈今日は国会議員の逮捕者、何名?〉とか?」「いやあ、なんか違うような気がしますねえ」 *「今日はご機嫌いかがですか」「今日はいい天気ですねえ」などといった意味合いか。しかしながら、そうであるとしたら、その日に初めて会った人には一日中使えることになる。「おはよう」や「こんばんは」に遠慮しているってことなのだろう。(2021.6.04)

(305)早い/速い

下やんは気配りの人でもある。とにかく人に対して細やかに気を遣う。相手が老若男女であるを問わず、とにかく優しいのだ。居酒屋で一緒に会食をするうちに、Nくんも大くんも心からそう思うのだった。日本一の保育園「ともそだち」の園長である大くんが「近頃ちょっと太り気味で……」と漏らすと、徹底的に食べ物を大くんの前から遠ざけ、ビールも一切注ごうとはしない。「健康第一、健康第一」とつぶやきながら。せっかく注文して残すのはお店の人に悪いからと、下やんがせっせと飲み、食べるのだ。胴の長さを脚の短さで巧みにバランスをとっているNくんが「奈良の田舎からお袋がいろんなものを送ってくれるのはうれしいんですが、家の中がモノであふれて……」ともらすと、早速その日にN君のところを訪れ、 いろんなものを引き取って持って帰ってしまう(くれる)のだ、Nくんの戸惑う奥さんに「気を使わなくていいですよ」という言葉を残して。先日など、交番の前を通りかかった際、そこにやって来た男の様子がいかにも危険に思われたので、すぐに下やん、おまわりさんの腰から拳銃を取り出しておまわりさんに渡してあげた。とにかく気配りがすごいし、早いのだ。ん、速いのかな?*広辞苑によれば、「①すみやかである。速力が大である。②するのに要する時間が短い」の場合は「速い」を、ときに「疾い」や「捷い」も用いる。それ以外の時は、「早い」を使うという。つまり、たとえば、「明日は早い新幹線で大阪に行く」といえば、早朝の新幹線に乗るという意味であり、「速い新幹線に乗る」といえば、「こだま」や「ひかり」ではなく、「のぞみ」に乗るということだろう。(2021.5.30)

(304)ポン酢

Nくんと大くんの二人が下やんの家に招かれた。「鍋を食べるから、おまえらも来ないか」と誘われたのである。「いやあ、ボク、そんなに歯が丈夫ではないので……」とNくん。「ボクも、あのう、食べたことがないし、……」と大くん。「おまえら、アホか? 誰が鍋に噛り付こうと言っているんだよッ。鍋料理をするから食べに来ないかと言ってるんだよッ」 なんと石狩鍋をごちそうしていただけるそうなのだ。下やんの美しい奥様と可愛いさくらちゃんが笑顔で迎えてくれた。(あ、優しそうなお二人だな)と思う二人である。和室に大きな食卓が用意され、五つの座り心地のよさそうな座椅子があった。奥にNくんと大くんが並んで座り、Nくんの向かいにさくらちゃんが座った。床の間を背にする席と、大くんの前の席が空いている。しばらくして美しい奥様がビール数本とグラスを持ってきて、床の間の前に座った。(と、とすると、下川さんは一番の下座ってことか……)と二人は緊張した。しばらくして、エプロンをした下やんが「へへへ」とやって来た。「じゃ、乾杯しましょうか」と奥様。下やんが、素早くビールの栓を抜く。まず、奥様に注ぐと、次いでNくんと大くんに、それからもう一本のビールの栓を抜いてさくらちゃんのグラスを満たす。最後に自分のグラスに注いだところで、「カンパーイ!」と奥様の透き通る美しい声で音頭。Nくんと大くんのグラスが気のせいか震えている。新鮮な鮭を使った石狩鍋はすばらしくおいしかった。すべて下やんが料理した。(そうか、そうか、俗にいう鍋奉行なんだな、今日の下川さんは。優しいんだな下川さん)と二人は無理やり思うことにした。味噌の味が格別だった。味噌はいろいろな味を包み込む。Nくんと大くんの思いも、そして最高の善人、下やんの思いも全部包み込むのだった。帰り際に、奥様が言った。「今度は寄せ鍋をやりますから、ぜひまた、手ぶらで来てくださいね。ポン酢で食べると最高ですよ」と。二人は帰る道すがら、(しまった、忘れていた、お土産を)と反省するのだった。*ポン酢=橙(だいだい)の搾り汁を意味するオランダ語の「ポンス(pons)」が語源。「ス」に「酢」を当てて、「ズ」と読むようになったもの。(2021.5.22)

(303)伯仲

「おい、Nよ。お前、奈良の出身だったよな。大阪を中心に感染が拡大しているから心配だろ」と下やん。「あ、はい。ありがとうございます。うちの母親は怖がりなので、十分に気を付けていると思います」(Nくんの父親はもうずいぶん前に亡くなっている) 「そうか、でも時々連絡して、様子をうかがっておけよ。親は子どもからそういった連絡が届くとうれしいもんだからな」 しんみりとした下やんにNくんは(そうか、親として思うことがいろいろあるんだろうな)と察する。下やんの愛する一人娘・さくらちゃんが結婚することになったようだ。とにかく可愛がっているさくらちゃんが手元を離れていく。情の厚い下やん、さみしくてしようがない。だから元気がなくなったり、立腹しやすくなったりと、そばにいるNくんとしては気を遣うのだ。「ところでだ、日本政府のコロナ対策はどうだ、すべて後手後手の上に、オリパラなんてやったら大変なことになるのはわかっているのにだ、安心安全という言葉の繰り返しで、国民のことは二の次三の次になっているよな」 立腹のサイクルである。「やっぱり、与党と野党は伯仲していないと、緊張感がなくてだめだな。政党の中には、〈ゆ党〉なんていわれる、与党の補完勢力もあるもんなあ」「ちょっと前に分裂した野党の一つ、小さい方もどうやら、与党にくっつきたい素振りですしね」「お前の実家のある、関西から生まれたあの政党も完全なる補完政党だものね」 二人の会話を聞いていた大くん、(そういえば最近、親父に連絡していなかったなあ)と反省する。みんな心優しいのである。*伯仲(はくちゅう):伯が長男で、仲は次男のことである。年齢が近く、ほぼ優劣がなく、力が拮抗している意である。(2021.5.15)

(302)間髪を容れず

日本一の保育園「ともそだち」の園長である大くん、少し悩んでいる。コロナ感染禍でも保育園を開き、仕事と子育てとに奔走するお母さんたちをなんとか支えたいと短い脚で踏ん張りながら頑張っている。保育園にやって来る子どもたちの明るい笑顔と、保育園のチームの仲間たちの献身的ともいえる働きに支えられながらの毎日である。幸せだなあ、と思う。けれども、子どもたちを保育園に連れてくるお母さんたちの表情に疲れを感じるのだ。大変だよなあ、と思う。もう一年以上も続く重苦しい自粛生活である。何か自分にもっとできることはないかなあ、と考える。けれども、いい考えが浮かばない。美しくて優しい愛妻に話してみる。「今のお仕事をしっかり頑張ることだと思うよ」と妻。大くんにしっかりと短足の遺伝子をくれた親父にも相談する。親父も妻と同じことを言う。悶々と考えている日曜日の夕刻、電話が鳴る。「おーい、今さあ、大くんの家の近くの居酒屋にいるんだけどさあ、大くんを呼べ、って下川さんが言っているんだけど……」 Nくんである。「あのさあ、下川さんとNくんが近くの居酒屋で飲んでいるんだって。それで、……」「だめよッ、今日は家族の日でしょ。しかも今日の夕食を作るのはあなたの番よッ」 間髪を容れない愛妻の声が響く。「そ、そ、そうだよね。1時間だけ……」「だめよッ。洗濯物を取り入れてたたむのだってしてくれるんでしょ。お掃除だってあるし」「Nくん、ちょ、ちょっと頭が痛くてね。行けそうにないんだ、ごめん」「ちょっとの痛みだったら、酒を飲めば治るって、下川さんが言っているんだけど」「あ、あの、痛みがひどくなった感じなんだよね、突然」 下やんとNくん、日曜日の夕刻に、いったい何をしているのだろう、うらやましいなあ、と思う大くんだった。*間髪を容れず=多く、「カンパツヲイレズ」と読まれているようだが、正しくは「カンハツヲイレズ」である。「間に髪の毛1本を入れるすきまもない。事が非常に切迫して、少しもゆとりのないことにいう。転じて、即座に、とっさに、の意」(広辞苑)。 (2021.5.9)

301)足を洗う

吉田先生とハイタニ教授が東京を去った。脚の短さを胴の長さでバランスをとっているNくんも、背番号3の長嶋茂雄のファンだからと3頭身を自慢する下やんも、日本一の保育園「ともそだち」の園長で恐妻家の大くんも何となく元気がない。「ところでさあ、先生の公開講義の<足を洗う>ってところ、覚えています?」とNくんが口火を切る。「おうっ、覚えているぞ」と下やん。「手を汚した者が改心して足を洗うってところでしょ」と大くん。日本語には体の部位を用いた表現がたくさんあって楽しいなあって話である。確かに、手を汚したのに足を洗うというのはおかしい。仕事を終えて家に帰ってきた者や旅人が旅籠に泊まるときにまず足を洗うといった習慣があったものが、「(汚れた足を洗うように)悪事や、好ましくない職業の世界から抜け出ることにいう語」(広辞苑)となったようだ。「ところで、ロンドンの先生は元気なのか」と下やん。「ロンドンの一年以上のロックダウン・自粛生活でちょっと疲れ気味のようだけれど、いつも元気ハツラツの先生だから、ま、大丈夫でしょう」とNくん。「きっとまた、いろんな日本語のことを考えておられるんじゃないですか。変なこと」と大くん。どうやら、時間を持て余して、三人とも人恋しくなっているようである。いやはや、平和、平和。(2021.5.3)